「やりたいことを、やる。」
その言葉を、どれだけの人が本気で実行できているだろう。
ソフトテニスで日本一を掴み、俳優・モデルとして海外へ飛び出し、
そして今は事業家としても挑戦を続ける男がいる。
名前は、因 京将(ちなみ きょうすけ)。
彼の原動力は、“自由”という言葉の中にある。
誰かに決められた生き方ではなく、自ら選び、動き、掴み取る人生。
今、俳優として、そして一人の人間として——
「挑戦する自由」を体現する彼の軌跡を追った。
母の強さに支えられて
新潟県で生まれ、8ヶ月で両親が離婚。
物心ついたときから、父親の記憶はなかった。
けれど、それを“悲しいこと”と思ったことは一度もない。
「父の存在を気にしたことがないんです。
それくらい、母が最強だったんだと思います。」
母は、サッカーボールを蹴る相手でもあり、キャッチボールをしてくれる存在でもあった。
“父がいないから”できないことは一つもなく、
愛情と行動力で満たされた環境がそこにあった。
母は、厳しくも愛情深い人だったという。
「人と話すときは目を見て」「挨拶と感謝は相手に届く声で」
礼儀や言葉遣いを徹底的に叩き込まれた。
注意されてふてくされようものなら、激怒されて無視される。
だがその厳しさの裏には、息子への深い愛があった。
祖父母もまた、彼の人生を支えた。
事業を営んでいた祖父は、シングルマザーの母親を経済的に支え、
祖母は優しく、いつも孫の背中を見守ってくれた。
姉とはなんでも話せる関係で、彼の競技人生を陰で支えてくれた。
「臭い言葉を使うのは少し恥ずかしいけど、
今の僕があるのは母、姉、祖父母、そして愛犬のおかげです。」
愛されて育った少年は、やがて“強くなりたい”という想いを持ち始める。
ソフトテニスとの出会い──「注目されたい」が原動力
小学3年生のとき、自然な流れでソフトテニスを始めた。
家族全員が運動神経に恵まれ、スポーツを楽しむ家庭だった。
小学生ながら、全国大会を意識していたという。
6年生のとき、センターコートで戦う同い年の選手の姿を見て、その緊張感の中で戦う姿に憧れ、心が動いた。
「俺もこの舞台に立ちたい。日本一になるまで辞めないって思ったんです。」
その言葉どおり、彼は負けず嫌いだった。
勝つために努力を惜しまず、練習では涙を流す日もあった。
母やコーチから頬を叩かれながらも、常に前を向いていた。
だが、中学時代には“名前”がきっかけで心を痛めた。
大会で「因(ちなみ)」を「いん」と呼ばれたことがあり、
“誰にも知られていない”ことが悔しかった。
「だから、有名になって名前を知らしめたいと思ったんです。」
やんちゃな少年は、“努力で存在を証明する”ことを誓った。
寮生活が教えてくれた“人間力”
高校は石川県。
点呼、罰掃除、没収された携帯。
まるで軍隊のような規律の日々。
朝から晩までテニスと勉強に追われる生活だった。
「でもあの環境が、今の自分を作ったと思っています。」
そこで学んだのは、忍耐力と感謝。
監督の言葉「人に気を遣わせない人間になれ」は、
今でも彼の生き方の軸になっている。
中学までは少しやんちゃだった彼が、
高校で“人間的な部分”を叩き直された。
怒られ、反省し、感謝を覚えた。
その経験が、後の人生の礎になったという。
大学と挫折──“結果”を求めて再び立ち上がる
インターハイでは準優勝。
大逆転負けを喫したが、3,000人の観客の前で戦えたことに、小学生の頃の“みんなの前で目立ちたい”という夢が重なった。
結果は悔しかったが、少しの充実感と達成感は感じていた。
その試合をきっかけに早稲田大学から推薦をもらい、進学。
そんな中、並行して中学校時代から少し興味を持っていた芸能の道に片足を突っ込むことになる。
進学すると、そこは日本のトッププレイヤーが集まる場所だった。
初めて「自分が勝てない」と思い知らされた。
部活、授業、オーディション。
どれも中途半端になり、心が迷子になった。
「芸能もしたいけど、テニスもしなきゃいけない」
そんなジレンマに苦しみ、3年までは“廃人のようだった”という。
しかし、歴代最強と言われていた先輩の敗戦とともに再び火がつく。
「日本一を取って辞める」と決め、再挑戦。
そして迎えたインカレで、ついに日本一に輝いた。
「最高の結果を出すためには、最高の準備をしろ。」
高校の監督に頂いた言葉を胸に、テニス人生を終えた。
表現者としての挑戦──香港から舞台へ
大学卒業後、彼は俳優・モデルとして活動を始めた。
最初はエキストラから。
芝居だけでなくアクションにも挑戦し、映像作品にも出演。
下積みを重ねながら、少しずつ夢を形にしていった。
そんな中で初めて「本気で表現に向き合った」と感じた作品がある。
それがビデオコンテスト出展用の映像作品だった。
演技を通して感情を伝えることの難しさと楽しさを、
肌で感じた最初の現場だったという。
「初めて“演じる”ことを意識できた作品でした。
現場の空気感やカメラの前での緊張感、全部が新鮮で。
あの経験があったからこそ、今も続けていられると思います。」
🎥 参考映像はこちら:
ビデオコンテスト作品(YouTube)
その後、活動の場を広げるために海外へ。
香港・シンガポールではモデル事務所に所属し、
現場の文化の違いに衝撃を受けた。
「現場がすごくフラットなんです。
クライアントもモデルも関係なく、“一緒に作品を作る仲間”という感覚。」
仕事に“役割の上下関係”がない環境。
それが彼にはとても心地よかった。
だが、海外での経験は順風満帆ではない。
ミラノでは、現地で襲われるという事件もあった。
胸ぐらを掴まれ、ショルダーバッグを奪われそうになりながら必死で逃げた。
日本の平和さ、そして海外で生き抜く厳しさを知った。
「日本は平和ボケしてるって痛感しました。」
そんな経験を経て、彼の表現はさらに研ぎ澄まされた。
「僕は、役に没頭しすぎるタイプではありません。
自分らしさを活かして、役と自分がリンクするような表現がしたい。
冨永 愛さんのように、“自分というブランド”を確立したいんです。」
俳優×事業家──“挑戦する自由”を。
昼は俳優、夜はテニスコーチ。
現在も週4日、夜はテニスコートに立つ。
彼が携わるソフトテニススクールは、中学生から60代までが集う活気ある場所だ。
仲間と協力して立ち上げたその活動は、
「ソフトテニスをもっと身近に」という想いから生まれた。
「教える時は、自分の考えを押し付けすぎない。
相手の中にある“上達のヒント”を見つけるようにしています。」
テニスの現場で教える傍ら、彼は自分自身の新しい挑戦である「民泊事業」にも着手した。
その他、これから取り組もうと考えている新しいプロジェクトにも繋がるかもしれない。
彼にとって、ビジネスは数字だけでなく「想い」で動くもの。
民泊も、今後展開していこうと考えている新しい事業も、
根底にあるのは「人と人のつながりを大切にしたい」という想いだ。
「自由って、自分で取捨選択できる状態だと思うんです。
やるも、やめるも、自分で決められること。」
そう語る彼の言葉には、これまで積み重ねてきた経験と感謝がにじむ。
そして挑戦を続ける彼が、読者に伝えたい言葉がある。
「やりたいことを、やろう。人生は一度きりだから。」
やりたいことを我慢しない。
“今”を先延ばしにせず、挑戦を選び続ける。
その姿勢に共感し、「自分も頑張ろう」とDMをくれる人も増えてきた。
「周りの人を大切にしたいんです。
結局、助けてくれるのは人。だから、常に感謝して生きたい。」
俳優として、事業家として。
そして一人の人間として──。
因 京将は、今日も“挑戦する自由”を生きている。
🎭 舞台出演情報
『BATTLE of SEKAI ―戦え。現実(せかい)と。―』
現実から目を背ける青年・広瀬春馬。
唯一の居場所だった人気格闘ゲーム『Battle of SEKAI』の中で、
AIパートナー「狐姫(こひめ)」に告げられた一言――「あなたは、逃げている」。
その瞬間、戦いの舞台は仮想ではなく“自分自身の現実”へ。
挑むのは、逃げてきた過去。
――“現実”にログインするための物語が始まる。


▶︎ 公演日程
2025年12月17日(水)〜12月21日(日)
Theater Green BOX in BOX THEATER(東京・池袋)
▶︎ チケット情報
- 前売り:6,000円
- 前列指定席(特典付き):15,000円
- 前列・2列指定席(特典付き):10,000円
※特典には公演パンフレットやブロマイドセットなどが含まれます。
▶︎ チケット予約フォーム
▶︎ 京将さんよりコメント
「この作品は、現実と仮想の“境界”で生きる若者の物語です。
僕自身のこれまでの挑戦とすごく重なる部分があって、
稽古のたびに“自分を試されている感覚”になります。
ぜひ劇場で、そのリアルを感じてもらえたら嬉しいです。」
SNSリンク・活動情報
▶︎ Instagram
フォロワー1万人超えの公式アカウント。
「挑戦を楽しむ人生」をテーマに、日々のトレーニング風景・舞台稽古・モデル活動・ライフスタイルまで発信中。
因さん自身の言葉や習慣、成長過程をチェックできます。
▶︎ YouTube
自身の表現・日常・チャレンジ記録をアップ。
テニス・トレーニング・企画動画など、飾らないリアルな姿が見られるチャンネルです。

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