【後編】すべてを失い、本来の自分へ——原₆ 直之₃が「代表取締役遊び人」になるまで

interview

幼い頃から、「頑張ること」で人生を切り拓いてきた原₆ 直之₃(はら なおゆき)さん。

勉強に打ち込み、大学へ進み、大手銀行グループのSEとして上京。そこからフリーター、ITベンチャー、フリーランスを経て会社経営へと進み、結婚して父親にもなった。

さらに、従業員たちの行く先を守るために2,500万円の借金を背負い、自ら会社を買い取る。その借金も2〜3年ほどで返済した。

「これで、ようやくここからだ」

そう思った矢先、訪れたのが新型コロナウイルスのパンデミックだった。
仕事だけではない。家庭、人間関係、そして自分自身の心。

それまで「頑張ればなんとかなる」と信じて生きてきた原さんの人生が、大きく揺らぎ始める。
離婚を経験し、一人になり、再び立ち上がろうとした先では、3,000万円の損失も経験。

「死にたい」

そう思うほど沈んだ時期を経て、原さんはようやく、これまでとは違う問いを自分自身に投げかけるようになる。
もっと頑張ることでも、失ったものを取り戻すことでもない。

「自分は、本当はどう生きたいのか」

その問いの先に見つけたのが、「代表取締役遊び人」という現在の生き方だった。

後編では、原さんが人生の大きな喪失を経験し、“誰かに認められるための人生”から、“自分自身を満足させる人生”へと変わっていくまでを追っていく。

家族をつくり、守ろうとした先ですれ違ったもの

会社を買い取り、約2,500万円の借金を背負いながら仕事に打ち込んでいた原さん。
その一方で、家庭では夫として、父親としての生活が続いていた。

結婚生活が始まったのは2012年頃。
仕事が忙しくなるにつれ、帰宅が遅くなる日も増えていった。

そんなある日、妻から言われた。

「外で飲むなら、家でやってほしい」

その言葉をきっかけに始まったのが、自宅でのホームパーティーだった。
魚屋の娘だった妻は、魚料理が得意だった。ならば料理に合う酒を用意しようと、原さんは日本酒について学び始める。

食材や日本酒を買い、友人たちに声をかける。
気づけば家には多くの人が集まるようになっていた。

この頃から、夫婦の間では少しずつ価値観の違いも表面化していった。
その一つが、里親として子どもを迎え入れることをめぐる出来事だった。

原さん夫婦は、養育家庭として里子を受け入れることを考えていた。しかし、実際に受け入れるまでにはさまざまな条件があり、話はなかなか進まなかった。
その間には、より広い住まいを探したり、千葉への移住を検討したりと、家族のこれからについていくつもの選択を重ねていた。

ところが、里子の受け入れが現実味を帯びてきたことで、状況が変わる。

東京を離れて千葉へ移住するのか。
それとも、東京に残って里子を迎えるのか。

家族にとって大きな決断だった。
最終的には東京に残り、里子を受け入れることになった。

ただ、その過程で原さんが強く感じたのは、大切なことが、自分の知らないところで決まっていくことへの違和感だったという。

夫婦であり、家族である以上、本来なら一緒に話し合って決めたかった。
それまでにも住まいや家族に関する意思決定のなかで、似たようなすれ違いを感じることがあった。

そして、積み重なっていたものが、この出来事をきっかけに一気に表へ出ることに。
原さん自身、「あのとき初めて、本気で怒った」と振り返る。

同じ家で暮らしながらも、夫婦の間には少しずつ距離が生まれていった。

仕事では、従業員を守るために会社を背負った。
家庭でも、自分なりに家族を守ろうとしてきた。

けれど、頑張ればすべてがうまくいくわけではなかった。

幼い頃から、何か問題が起きれば「自分がもっと頑張ればいい」と乗り越えてきた原さんにとって、それは簡単には受け入れられない現実だった。

そして原さんは、少しずつ家の外で過ごす時間を増やしていく。

向かったのは、当時暮らしていた目黒の街。
店を見つけては飲みに行き、そこで出会った人と話し、また別の店へ行く。

最初は家庭から距離を置くためだったのかもしれない。
しかし、その飲み歩きの先で、原さんは思いがけず新しい「自分の居場所」を見つけていくことになる。

やがて原さんの周りには、自然と人が集まり始めた。
それが後の「チーム用賀」にもつながっていく、原さんなりの“仲間と生きる”という価値観の原点になっていった。

家の外で見つけた、もうひとつの「居場所」

家庭でのすれ違いが大きくなるにつれ、原さんは家の外で過ごす時間を増やしていった。
当時住んでいたのは、目黒。

近所の店を見つけては足を運び、そこで酒を飲み、人と話す。そんな日々を繰り返しているうちに、街の中に少しずつ顔見知りが増えていった。

「僕が飲み歩いていたら、だんだんみんなもついてくるようになったんですよね」

誰かと飲むために大げさな企画を立てるわけでもない。
原さんが「今日はここに行こう」と動けば、自然と人が集まってくる。

いつしか、その飲み歩きは「目黒パトロール」と呼ばれるようになった。

振り返ってみれば、こうした光景はこの頃に突然始まったものではなかった。

20代の頃には、バレーボールサークルを主催し、友人たちの結婚式では、二次会の幹事を何度も務めた。30代に入ってからも、飲み会や料理教室、朝から集まるカラオケ会、セルフ誕生日会など、さまざまなコミュニティを育ててきた。

2015年には、自身の結婚式としてキャンプ場を2泊3日貸し切り、約200人が集まる「結婚式キャンプ」まで開催している。

当時の本人に、「なぜそこまで人を集めるのか」という明確な答えがあったわけではないのかもしれない。
ただ、みんなで集まって、飲んで、話して、一緒に何かをする。
原さんは、そんな時間が昔から好きだった。

そして目黒での生活は、その価値観をさらに強くしていった。

家庭の中では、思うように意思を共有できないこともあった。
一方、街へ出れば、肩書きも立場も関係なく、人とつながることができた。

仕事上のメリットがあるからでもない。
何かを売るためでもない。
ただ、一緒にいて楽しいから集まる。

しかし、そんな日常も長くは続かなかった。

2020年、新型コロナウイルスの感染拡大によって、それまで当たり前だった「人と集まる」という行為そのものが難しくなっていく。

飲みに行くことも、イベントを開くことも、友人と気軽に会うこともできない。
人と集まることで居場所をつくってきた原さんにとって、それは生活そのものが大きく変わる出来事だった。

家族との時間が増え、生活環境も変わっていく。
そして、その先で待っていたのが、夫婦関係の終わりだった。

会社を背負い、家庭を持ち、多くの仲間にも囲まれてきた。
それでも原さんは、このあと再び「一人」になる。

その孤独が、後に原さんが語る、

「近所に気を許せる仲間がいることが、人生を豊かにする」

という価値観へとつながっていく。

すべてをリセットした先に待っていたもの

2020年に始まったコロナ禍によって、これまでの日常は一変した。
人と集まることが難しくなり、飲み会やイベントも思うようにできない。それまで当たり前だった「誰かと会う」という時間が、突然失われていった。

仕事にも影響が及ぶ。

2,500万円の借金を返し終え、会社も「これから」というタイミングだっただけに、原さんにとっては大きな変化だった。

そして同じ頃、家庭でも状況が変わっていく。

家で過ごす時間が増え、子育ての環境なども考えた結果、家族で八王子へ移住した。

しかし、その後、夫婦関係にも終わりが訪れる。

結婚から約10年。

原さんは離婚し、家を離れることになった。

仕事も、家庭も、人とのつながりも。
それまで自分の生活を形づくっていたものが、一気に変わっていった。

世田谷へ移った原さんは、一人で過ごす時間が増えていった。

「近所に、気軽に会える同世代の仲間がいなかったんですよね」

目黒にいた頃は、街へ出れば誰かに会えた。

「今から飲もうよ」

そう言えば集まれる人たちがいた。
だが、新しい土地ではそうはいかない。

人と集まることが好きで、昔から自らイベントをつくってきた原さんにとって、人とのつながりが少ない環境は、想像以上につらいものだった。
一時は引きこもるようになり、精神的にも深く落ち込んだという。

それでも、少しずつ外へ出るようになる。

自らテニスサークルを立ち上げ、そこに人を集めたり、知人の会社設立パーティーへ足を運んだりしながら、少しずつ新しい人たちとのつながりを広げていった。


そして2022年頃、用賀という街とのつながりが生まれていった。

そこで出会った人たちと飲み、イベントに参加し、また新しい人を紹介してもらう。
かつて目黒でそうだったように、少しずつ「近所に仲間がいる生活」が戻ってきた。

この経験から、原さんはひとつのことを強く感じるようになる。

どれだけオンラインで簡単につながれる時代になっても、物理的に近くにいる仲間の存在は代えがたい。

「今からご飯行こうよ」

そう気軽に言える人が近所にいる。
ただそれだけで、人生の幸福度は大きく変わるのではないか。

後に「チーム用賀」を“地元”や“村”のような存在として大切にする背景には、このとき味わった孤独があった。

ただ、原さんの人生は、ここから一直線に上向いていったわけではない。
新しい仲間に出会い、少しずつ自分を取り戻し、「もう一度、新しいことを始めよう」と動き始めた先で——。

原さんは再び、大きなものを失う。

そしてこの出来事が、長年自分を動かし続けてきた「もっと頑張らなければ」という生き方そのものを見つめ直す、大きな転機になっていく。

その額、3,000万円。

「取り戻す」ことを、やめた瞬間

2024年頃、その額は3,000万円。
再び前へ進もうとした先で、大きな損失を経験することに。

これまでにも原さんは、何度も苦境を乗り越えてきた。

大学進学が危ぶまれたときには新聞配達をしながら受験し、会社が倒産したときにはフリーランスとして独立した。

雇われ社長として会社が厳しい状況になったときには、自ら2,500万円の借金を背負って会社を買い取り、2〜3年かけて返済した。

家庭や仕事を失ったときも、また新しい場所で人とのつながりをつくってきた。

何かを失ったら、努力して取り戻す。
壁にぶつかったら、もっと頑張って乗り越える。

それが、幼い頃から繰り返してきた原さんの生き方だった。
けれど、このときは違った。

「もう、やる気がなくなっちゃったんですよね」

何度立ち上がっても、また何かを失う。
これまでのように「もう一度頑張ろう」と、自分を奮い立たせることができなくなっていた。

やがて、

「死にたいな」

と思うほど、気持ちは沈んでいったという。
そんな時間のなかで、原さんは「何かを失った人」のその後について考えるようになった。

大きく分ければ、3つの生き方があるのではないか。

ひとつは、失ったものを取り戻そうと必死になる人。
もうひとつは、失ったことをきっかけに、そのまま沈んでしまう人。
そして最後が、失った事実を受け入れ、そこに自らの人生の意味を見出し、其の上で、いま自分にできる事にフォーカスして頑張る事ができる人。

これまでの原さんなら、おそらく一つ目を選んでいた。

失ったなら取り返す。
できないなら、できるまで努力する。

そうやって自分を追い込みながら、何度も人生を立て直してきた。
でも、もう同じことを繰り返さなくてもいいのではないか。

「だったら、最後の生き方を頑張ってみよう」

そう思えるようになったのが、2025年の秋頃だった。

失った3,000万円を取り返すことを、人生の目的にしない。
過去の自分に戻ろうとするのでもない。

それまでとは違う方向へ、もう一度歩いてみる。
すると原さんの中で、少しずつ別の問いが生まれていった。

そもそも自分は、なぜこれほどまでに頑張り続けてきたのだろう。
誰のために結果を出そうとしていたのか。
何を証明したかったのか。

幼い頃から勉強で自分の価値を証明し、進学校へ進み、大学では体育会に入り、社会人になってからも「もっと上へ」と自分を追い込んだ。

会社を守るために借金を背負い、何かを失うたびに立ち上がってきた。

その原動力の奥にあったのは、

「頑張らなければ、認めてもらえない」

という感覚だったのかもしれない。

原さん自身、後にそれを「努力の呪い」と表現するようになる。

46歳になるまで、何度も人生を立て直してきた原さん。
けれど、ここから始まったのは、もう一度立ち上がるための努力ではなかった。

むしろ初めて、「頑張り続けなくてもいい自分」を認めていく時間だった。
そして、もし昔の自分にひとつだけ言葉をかけるなら。

原さんが今、伝えたいのは、

「よく頑張ったよね」

という言葉だった。

何者かにならなくても、自分は自分でいい

振り返ってみれば、原さんは幼い頃からずっと頑張ってきた。
運動では周囲にかなわなくても、「勉強だけは負けない」と机に向かった。

進学校へ進み、大学では体育会のカヌー部に所属。社会人になってからも「もっと上へ」と自分を追い込み、会社が苦しくなれば借金を背負ってでも守ろうとした。

なぜ、そこまで頑張り続けてきたのか。

原さんがたどり着いたのは、自分の中に長い間存在していた、

「認めてもらうためには、努力し続けなければならない」

という感覚だった。
頑張っている自分。成長している自分。結果を出している自分。

そうした姿に価値を感じる一方で、何も成し遂げていない自分を、そのまま認めることができていなかったのかもしれない。

しかし、仕事や家庭、人間関係など、さまざまなものが思い通りにならなくなったことで、その価値観にも少しずつ変化が生まれていった。

「別に、これがなくなってもいいんだ」
「今の自分のままでもいいんだ」

そう思えるようになった。
そして今、昔の自分に何か言葉をかけるなら、原さんはこう伝えたいという。

「よく頑張ったよね」

これまで必死に生きてきた自分自身を、まずは認めてあげる。
その感覚を持てるようになってから、原さんは他人からどう見られるかを以前ほど気にしなくなった。

誰かから評価されるために生きる必要もない。
世間が考える「正しい生き方」に、自分を合わせる必要もない。

人間関係も変わっていった。

無理に誰かを引き留めることはせず、離れていく人がいれば、それも自然なこととして受け入れる。一方で、今の自分に共鳴する人が、新たに集まってくることもある。

「人間関係が変わったというより、自然の物理みたいなものだと思っているんです」

自分が変われば、周囲との関係も自然に変わっていく。

それでいい。

そして原さんは、これまでとは違う基準で人生を選ぶようになった。

「自分自身を、一番満足させる生き方をする」

それは、誰かを蔑ろにして自分だけを優先するという意味ではない。
自分の心を置き去りにせず、違和感があればその声に耳を傾ける。

頑張っている自分だけではなく、頑張れない自分も含めて認める。
原さんにとって「ありのまま生きる」とは、そんな自分自身との向き合い方なのだろう。

46歳になるまで、何度も何度も人生を立て直してきた。
けれど、このとき手に入れたものは、これまでのような肩書きでも、お金でも、仕事でもなかった。

「何者かにならなくても、自分は自分のままでいい」

そう思えるようになったことだった。

そして最近、そんな原さんが自身の生き方を表す言葉として大切にしているのが、

「最強ではなく、無敵」

という考え方だ。

以前は「史上最強にかっこいい男になりたい」と話していた原さん。しかし今は、「最強」という言葉にも少し違う感覚を持つようになったという。

「最強って、誰かと比べて一番になることだと思うんです。でも、今の僕が目指しているのは、そもそも敵をつくらないことなんですよね」

誰かに勝つことで証明する“ナンバーワン”ではなく、自分は自分だと思える“オンリーワン”。

何も我慢せず、自分らしく自由に生きていても、それでも愛してくれる仲間がいる。

原さんにとっての「無敵」とは、そんな安心感のなかで生きられる状態なのだという。

かつては、誰かに認められるために「もっと上へ」と走り続けてきた。

だからこそ、誰かと競う「最強」ではなく、比較や勝ち負けそのものから離れた「無敵」を目指すという現在の価値観は、原さん自身の変化を象徴している。

そして、この変化から生まれたのが、現在の原さんを象徴する少し変わった肩書きだ。

代表取締役遊び人

一見すると冗談のようなその言葉には、原さんが長い時間をかけてたどり着いた「自由人」としての生き方が込められている。

「代表取締役遊び人」が、仲間とつくりたい世界

現在の原さんを象徴する肩書き「代表取締役遊び人」。
もちろん、ただ遊んで暮らしているという意味ではない。

原さんが考える「遊び」とは「余白」。つまり、「遊び人」とは、言い換えれば、「余白」を自ら作り出せる人。つまり“自由人”であり、“傾奇者”だ。

「世の中の評価に縛られない。一般常識にも縛られない。そういう状態が、自分にとっての自由人なんだと思います」

かつては、いい学校へ進むこと、大きな会社へ入ること、仕事で結果を出すこと。そうした分かりやすい評価軸のなかで、自分の価値を証明しようとしてきた。

しかし今は違う。

自分が面白いと思えるか。
心が動くか。
そこに時間やお金を使いたいと思えるか。

それが、人生を選ぶ基準になった。

仕事についても、「お金をもらうために働く」という感覚とは少し違うという。
大切な仲間や、自分の心が喜ぶモノにだけ、全力で愛(時間、お金、エネルギー)を注ぐ。その結果として、世の中から対価を頂き、愛が循環する。

現在代表を務める株式会社フィールドも、そんな原さん自身の生き方を体現する場所のひとつだ。

現在はSES事業などを手掛けているが、これから原さんが広げていきたいのは、エンターテインメントの領域。
衣食住のように、生きるために絶対に必要なものではないかもしれない。

それでも、アートやイベント、娯楽のように、そこにあるだけで人生が少し楽しくなるものがある。

「世の中が求めているからやるというより、自分たちが『あったらいいよね』と思えるものをやっていきたいんです」

そして、その世界をつくるうえで原さんが何より大切にしているのが、「仲間」だ。
原さんにとって仲間とは、単に仲が良い人ではない。

「本気でぶつかり合えるかどうかだと思います」

考え方が違っていても、その違いを尊重できる。
言いたいことを言い合いながら、それでも「一緒に何かやろうよ」と言える。

困ったときには、お互いに手を差し伸べられる。
原さんの言葉を借りれば、「背中を預けられる」関係だ。

だからこそ、人付き合いにも無理をしない。

誰とでも深く付き合おうとはせず、自分から与えたものに対して、相手も自然と何かを返してくれるのか。その関係性を見ながら、本当に大切にしたい人との時間を選ぶようになった。

そして最近、そんな原さんの“人との向き合い方”を象徴する言葉がある。

「酒の下に平等」

お酒を飲んだら、年齢も性別も、肩書きも立場も関係ない。

普段はそれぞれが社会のなかで身につけている“鎧”を脱ぎ、一人の人間として本音で向き合う。

それが、原さんが大切にしている世界観だ。

「世の中、みんなビジネスの鎧を着て、負けないように、舐められないように頑張って生きていると思うんです。でも、お酒を飲むときくらい、その鎧を脱いで本音で話せたらいいですよね」

原さん自身、お酒は好きだが、一人ではほとんど飲まないという。

お酒そのものが目的なのではなく、人と人との間にある壁を取り払い、安心して本音で語り合うための“潤滑油”なのだ。

現在は、渋谷で持ち寄りの日本酒会を毎月主催するほか、六本木では経営者BBQなども開催している。

そこでも、名刺交換やビジネスの話から関係を始めるのではなく、まずは一人の人間として向き合うことを大切にしている。

おすすめのお酒やおつまみを持ち寄れば、それが名刺代わりになり、その人らしさにもなる。

比較する必要も、マウントを取り合う必要もない。

年齢も性別も肩書きも越えて、誰もが自然体で本音を語り合える。

原さんが「酒の下に平等」という言葉を掲げる背景には、そんな『“まぁるい世界”をつくりたい』という想いがある。

現在、そんな原さんにとって“地元”のような存在になっているのが「チーム用賀」だ。

常に一緒にいるわけではない。

地域のお祭りやイベントがあれば集まり、飲み会を開き、必要なときには力を貸し合う。
原さんは、その関係性を「村みたいな感じ」と表現する。

離婚後、一人になったときに痛感した、近くに仲間がいない孤独。
だからこそ今は、「今からご飯行こうよ」と言える距離に仲間がいることの豊かさを知っている。

原さんはこの先、既存のコミュニティの中だけに留まるつもりはない。

これからは株式会社フィールドとして、年齢や職業、バックグラウンドにとらわれず、もっと多様な人たちが混ざり合えるイベントや場所もつくっていきたいと考えている。
ただ、原さんには意外にも、「これがやりたい」という具体的な夢があるわけではないという。

「僕自身は、正直そんなにやりたいことってないんですよ」

自分一人が主役になりたいわけではない。
さまざまなジャンルに、それぞれ面白いことを考える人がいる。

そんな人たちが集まり、やりたいことを持ち寄り、一緒につくっていく。
原さんがつくりたいのは、そのための“楽しい場所”なのだ。

一人で完成したものを提供するのではなく、みんなで考え、準備し、一緒につくり上げていく。
その時間も含めて楽しみたい。

目指しているのは、原さんが表現するところの、

「文化祭の前日のようなワクワク感」

が日常にある世界だ。

振り返れば、SEを辞めて人脈をつくるために飲み会へ足を運んでいた20代から、目黒での飲み歩き、キャンプ場を貸し切った結婚式、そして現在の地域コミュニティまで。

原さんの人生には、いつも人が集まる場所があった。
46歳になった今、それを偶然ではなく、自分自身の生き方として選ぼうとしている。

本気で遊び、本気で人と関わり、面白いことを仲間とつくる。
「代表取締役遊び人」という肩書きは、そんな原₆ 直之₃という人間を、最もシンプルに表した言葉なのかもしれない。

本気で遊び、本気で生きる

誰かに勝つ「最強」ではなく、そもそも敵をつくらない「無敵」へ。

誰かから認められるためではなく、自分自身が心から満足できる人生を生きる。

そして、自分だけが楽しむのではなく、その楽しさや愛を周囲にも渡していく。

そんな現在の原さんの価値観は、お金に対する考え方にも表れている。

原さんは、「お金を使うことが好き」だという。
何かを手に入れたいから使うのではない。

「お金そのものが大好きだから、お金をたくさん集めたい、つまり稼ぎたい。そして、そのお金を見返りや対価を求めることなく、世の中に循環させ続けたい。だからこそ、たくさん使い続けたいんです」

誰かを喜ばせるため。
仲間の挑戦を応援するため。
面白いものを生み出すため。
楽しい場所をつくるため。

自分が持っているものを、惜しまず周囲へ渡していく。

原さんにとって、お金を使うことは、一つの愛の表現でもある。
だから、自分を表す言葉として昔から周囲に言われてきたのが、

「愛の伝道師」

だった。

そして今、原さんは「与える人」がもっと増えてほしいと考えている。
自分が先に与え、その相手がまた誰かへ与える。

そんな循環が広がれば、今より少しだけ優しい社会になるのではないか。
それを言葉だけで伝えるのではなく、自分自身の生き方で体現していきたい。

息子に対しても、願っていることはシンプルだ。

「幸せになってほしい。それだけですね」

自分の人生を好きに生きてほしい。
困ったときには助けられる存在でありたい。

けれど、互いに依存する必要はない。
何かを期待して、自分の思い通りの人生を歩ませたいわけでもない。

「人生、楽しんでね」

その言葉は、息子に向けたものであると同時に、長い時間をかけて原さん自身がたどり着いた答えにも聞こえる。

ずっと、頑張り続けてきた過去。
けれど今は、誰かに認めてもらうために生きているわけではない。

自分の心に正直に生きる。
自分を満たし、その楽しさを仲間と分かち合う。

そして、自分が持っている愛や時間、お金を周囲へ循環させていく。

その生き方の先にあるのが、原さんの言う「史上最強に、かっこいい男」なのだろう。

大手銀行グループのSEからフリーターへ。

誰かより強くなるのではなく、自分は自分として生きる。

敵をつくらず、愛してくれる仲間とともに、自分の人生を思いきり楽しむ。

それが今、原さんが目指している「無敵」という生き方なのだろう。

大手銀行グループのSEからフリーターへ。

ベンチャー、フリーランス、起業、借金、結婚、離婚、そして再出発をした現在。

随分と遠回りをしてきた。

それでも、そのすべてがあったからこそ、今の原さんがいる。

誰かが決めた正解ではなく、自分自身が面白いと思える人生を選ぶ。

代表取締役遊び人・原₆ 直之₃。

そして、年齢も性別も肩書きも越えて、人と本音でつながりながら、仲間とともに人生を楽しんでいく。

「最強」ではなく、「無敵」へ。

原さんはこれからも、“自分自身の価値観”や“仲間との日々”を通じて、そんな生き方を体現していく。

【◀ 前編はこちら】

▼SNSリンク・活動情報

◼︎各種SNS・プロフィール
lit.link(SNS・活動情報まとめ)✅

◼︎株式会社フィールド
SES事業をはじめ、原さん自身の「自由人」としての生き方を体現しながら、今後はエンターテインメントや人が楽しめる場づくりなど、新たな活動にも取り組んでいく🗺️(公式サイト)

◼︎YouTube・出演情報
原さんのこれまでの経験や人柄、人生観などを知ることができる出演コンテンツ🎥
【YouTube】
ようがっこう 生き方クラス7限目「その男、ハラチョク〜気は優しくてポルシェ持ち〜」


RainbowtownFM 88.5MHz のライブ配信


#12 原₆ 直之₃ |はらちょく。代表取締役 遊び人 兼、北参道サロン オーナー


◆前編:【CEOさんいらっしゃい#4】変態過ぎる社長たちの秘密とは!?


◆後編:【CEOさんいらっしゃい#4】変態過ぎる社長たちの秘密とは!?

◼︎Instagram
アカウントはこちらからチェック👀

◼︎地域・コミュニティ活動
「チーム用賀」を“地元”や“村”のようなコミュニティとして大切にし、用賀サマーフェスティバルをはじめとした地域活動にも参加。今後は株式会社フィールドとしても、さまざまな人がつながり、一緒に楽しめるイベントや場づくりを広げていくことを目指しているコミュニティです👥

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