すべての逆境を、感謝に変えて。金元龍輝が英語で届けたいものとはーー

interview

中国・ハルビンで生まれ、2歳で日本へ。

幼少期には父親のアルコール依存、両親の離婚、3度の転校、いじめ、貧困──決して順風満帆とは言えない環境で育った。

将来への希望を持てず、自殺を考えたことさえあった少年は、大学時代に「英語ができない」と笑われたことをきっかけに人生が大きく動き出す。

わずか2ヶ月で英語を習得し、カナダ留学、アクション俳優、通訳を経て、現在は500名以上を指導する英会話スクールを経営。

なぜ彼は「英語は人生を変える」と言い切れるのか。

その答えは、これまで歩んできた人生そのものにあった。

逆境の中で育まれた強さ

中国・黒龍江省ハルビン市で生まれた金元 龍輝(かねもと りゅうき)さんは、2歳のときに両親とともに日本へ渡った。

移り住んだ先は愛知県豊田市。
両親は工場で働きながら、新しい土地で生活を築こうとしていた。

幼い頃の家族の記憶は決して多くはない。
しかし、今でも鮮明に覚えている出来事がある。

ある日、学校から帰宅すると、いつもなら仕事に出ているはずの母の姿が見当たらない。不思議に思っていると、押し入れから突然母が飛び出してきた。

実は父と一緒に「自分(息子)を驚かせよう」と計画していたサプライズだった。

「母は普段仕事で忙しかったので、その時間に家にいること自体が珍しかったんです。自分を喜ばせようとしてくれた、その出来事が本当に嬉しくて、今でもよく覚えています。」

そんな温かな思い出がある一方で、家族の生活は大きく変わっていく。

父親が職場でいじめを受け、精神的に追い詰められてしまったのだ。
仕事へ行けなくなり、やがてアルコールに依存するようになった父は、感情をコントロールできなくなっていった。

9歳の頃、母は龍輝さんを連れて家を出る決断をする。
その後、両親は離婚。父親から逃れるため、転校を繰り返す生活が始まった。

「父が居場所を探して追いかけてくることもありました。結果的に3回転校して、ようやく落ち着いて暮らせるようになったんです。」

生活は決して豊かではなかった。
着る服にも困り、カーテンすらない家で暮らした時期もある。新聞紙を敷いて眠ったこともあったという。

さらに、小学4年生から6年生までの約3年間はいじめも経験した。
あまりにも苦しく、自殺を考えたこともある。

「縄跳びを持ってベランダに出たことがありました。あの頃は、将来に希望なんて持てませんでした。」

それでも、不思議と父親を憎む気持ちはなかった。

「どちらかというと『かわいそう』という感情でした。昔の父は、本当に優しい人だったんです。会社でどれだけ追い詰められていたのかを考えると、幼いながらに父も被害者なんだと思っていました。」

今振り返ると、あの出来事を幼い頃に経験したことにも意味があったと語る。

「もし今の年齢で同じことが起きていたら、自分は父を許せなかったかもしれません。だからこそ、純粋だった子どもの頃に経験したからこそ、父を俯瞰して見られたんだと思います。」

中学生になると、新しい学校で空手と出会う。
きっかけは、空手を習っていた友人の一言だった。

「精神的に強くなれるよ。」

その言葉に背中を押され、龍輝さんは空手を始める。
そして後に、この経験はアクション俳優を志す原点にもなっていく。

一方で、勉強は苦手だった。
通知表はオール1。

「勉強が嫌いというより、何のために学ぶのかが分からなかったんです。受験のためだけに覚えることに意味を見出せなくて。」

しかし、この頃の龍輝さんはまだ知らない。

大学で英語を笑われた、たった一つの悔しさが、自分の人生を大きく変えることになることを。
そして、その出来事が、今多くの人に”人生を変える英語教育”を届ける原点になることも。

「英語ができない」と笑われた日──2ヶ月で人生を変えた”悔しさ”の力

工業高校へ進学した龍輝さんだったが、将来の進路はまだ明確には決まっていなかった。

周囲の友人の多くは、そのまま就職を選択していた。
しかし、自分には幼い頃から身近にあった”中国語を話せる”という強みがある。

「話すことはできても、読むことも書くこともできなかったんです。せっかくなら、中国語をきちんと学びたいと思いました。」

そうして中国語を専門的に学べる専門学校へ進学する。

家庭で自然と身につけた中国語に加え、専門学校では読み書きを習得。さらに、中華料理店でアルバイトをしながら、中国人の店長や従業員との会話を通して、現地で使われる自然な中国語も吸収していった。

「教科書には載っていない表現をたくさん学べたので、とてもいい経験でした。」

その後、専門学校から県立大学へ編入できる制度があることを知り、さらに学びを深めるため大学への進学を決意する。

しかし、大学生活は決して順風満帆ではなかった。

「周りはセンター試験を突破してきた学生ばかり。授業についていくのも必死でした。」

なかでも、大きな壁となったのが英語だった。
ある日、授業中に英単語の意味を先生から尋ねられたが答えられなかった。

すると、教室に笑いが起きた。

「本当に悔しかったですね。英語ができないことで笑われたことが、自分の中ではものすごく大きかったんです。」

その悔しさを胸に迎えた夏休み。
龍輝さんは、一冊のCD付き英会話教材を購入する。

iPodに音源を入れ、毎日繰り返し聞きながら、何度も口に出して発音する。
ただ単語を暗記するのではなく、会話の流れを理解しながら学び続けた。

「学校英語は、普段使わない表現も多いですよね。でも、その教材は男女の日常会話がベースになっていて、ジョークも交えながら進んでいくので、とにかく面白かったんです。」

実際に使う場面をイメージしながら学ぶことで、それまで苦手だった英語が少しずつ理解できるようになっていった。

「ある時、急に英語の仕組みが分かった感覚があったんです。マインドブロックが外れたというか、『英語って難しくないんだ』と思えるようになりました。」

わずか2ヶ月。
英語は苦手科目から、自信へと変わっていた。

その後、英語コンテストへ出場すると、見事優勝。

「努力すれば、人はここまで変われるんだ。」

人生で初めて、自分自身の力で成功体験をつかんだ瞬間だった。
だが、龍輝さんは満足しなかった。

「英語ができるようになったとは思いました。でも、本当に外国人と会話ができるのか。それを確かめたかったんです。」

その答えを探すため、大学在学中にカナダへの留学を決意する。
この留学が、英語力だけでなく、人生そのものの価値観を大きく変えることになる。

英語が広げてくれた国際俳優という夢

約3年間の留学生活は、英語力だけでなく、人生観そのものを大きく変える時間になった。

「一番驚いたのは、働き方の違いでした。」

日本では、仕事が終わるまで残業することが当たり前という空気がある。一方、カナダでは定時になると仕事を切り上げ、家族や自分の時間を大切にする人がほとんどだった。

さらに、英語という共通言語を通して、世界中から集まった人たちと出会った。
さまざまな文化や価値観に触れる中で、「正解は一つではない」ということを肌で感じたという。

「英語を話せるようになったことで、見える景色が一気に変わりました。日本にいた頃は、日本の価値観しか知りませんでした。でも海外では、いろんな生き方や働き方がある。英語は、可能性を広げてくれるものなんだと実感しました。」

そしてもう一つ、留学中に強く感じたことがある。
それは、「自分には武器がある」ということだった。

中国語を話せる。
空手をやってきた。
そして、英語も身についた。

これらを生かして世界で挑戦できる仕事はないだろうか──。

そんなことを考えていた頃、ふと学生時代のある出来事が頭をよぎる。
専門学校時代、中華料理店でアルバイトをしていた龍輝さんは、店長からこんな言葉を投げかけられた。

「お前、何もかも中途半端だな。」

中国語も、空手も。
どちらも続けているのに、どちらも極めきれていない。
その言葉は、何年経っても心の奥に残り続けていた。

「ずっと悔しかったんです。だったら全部生かせる仕事をしようと思いました。」

その答えが、国際的に活躍するアクション俳優だった。

アクションなら空手を生かせるし、海外作品なら、中国語も英語も生かせる。
すべてが一本につながった瞬間だった。

帰国後、その思いは日に日に強くなっていく。
そのためには一つ、大きな決断が必要だった。

大学卒業まで残っていたのは卒業論文だけ。
あと少しで卒業できる状況だったが、龍輝さんは迷わなかった。

「興味のない卒業論文のために時間を使うくらいなら、その時間を夢のために使いたいと思ったんです。」

母親にその思いを伝えた。

「芸能事務所に合格したら、挑戦してもいい。」

そう約束を交わし、オーディションを受ける。

結果は、合格。

大学を中退し、夢だけを持って東京へ向かった。

「これからが自分の人生のスタートだ。」

そう胸を躍らせながら始まった俳優人生だったが、その先には想像もしなかった試練が待ち受けていた。

夢が途絶えた日。そして、新たな使命との出会い

芸能事務所のオーディションに合格し、大学を中退して上京。
目指したのは、国内だけでなく海外でも活躍できる国際的なアクション俳優だった。

中国語、英語、そして空手。

これまで積み重ねてきた経験をすべて生かせる仕事だと信じ、夢だけを胸に飛び込んだ世界だった。
約4年間、アクション俳優として活動する一方で、生活のために塾講師や日中英の通訳など、複数の仕事を掛け持ちしながら日々を過ごしていた。

「その日暮らしのような生活でした。でも、不思議と辛いとは思わなかったんです。夢を追いかけている時間そのものが楽しかったので。」

俳優として活動する中で得たものは、演技力だけではない。

「俳優は、画面越しのお客様に何をどう伝えるかを常に考えます。英語も同じで、言葉をどう伝えるか、どんなニュアンスで届けるかがすごく大切なんです。」

また、アクションでは相手の動きを先読みしなければ怪我につながる。
だからこそ、相手の表情や動きを観察する力、相手の立場に立って考える力も自然と身についたという。

しかし、夢はさらに大きく膨らんでいく。

「本当は、日本で終わるつもりはありませんでした。」

先輩から「アメリカへ行って、人脈を広げよう」という誘いを受け、永住を視野にアメリカへの移住を計画する。

海外で俳優として活動するため、ビザの取得も進めていた。
ところが、そのタイミングはちょうどトランプ政権下。

移民政策が厳しくなり、手続きを進めていた弁護士も対応できなくなってしまうなど、状況は大きく変わった。
結局、移住計画は白紙となり、日本へ戻ることを決断する。

さらに、日本で俳優を続けることへの気持ちも次第に薄れていった。

「海外では立場関係なく意見を言い合う文化がありますが、日本のアクション業界は上下関係が厳しい世界でした。」

一度、アクション現場にて自分の考え・意見を口にした際、先輩から腹部を殴られたこともあったという。

「命懸けで仕事をしているのに、待遇も決して良いとは言えませんでした。海外を目指していた自分にとって、日本でこのまま続ける理由が見えなくなってしまったんです。」

俳優の道から少し距離を置き、これまで経験してきた語学を生かして、日中英の通訳として働くことを決意する。

それから約5年間、多くの現場で経験を積み、ようやく新たなキャリアが軌道に乗り始めた頃だった。

世界中を襲った新型コロナウイルス。
通訳の仕事は一気になくなってしまう。

さらに、中国出身という理由だけで理不尽な扱いを受けることもあった。

「『コロナを持っているんじゃないか』と言われて、仕事を打ち切られたこともありました。本当に悔しかったですね。」

仕事は突然なくなり、先の見えない日々が続く。

「もう、外的な要因で仕事がなくなる働き方はしたくない。」

そう考え、動画編集を学び始めるなど、新たな道を模索していた。
そんなある日、一緒に住んでいた友人から一本の相談を受ける。

「英語を教えてくれない?」

この何気ない一言が、龍輝さんの人生をもう一度大きく動かすことになる。

500人以上を導いた”龍輝式”

友人へ英語を教え始めたことをきっかけに、少しずつ口コミが広がっていった。

最初はカフェでマンツーマンレッスンを行っていたが、生徒が増えるにつれてオンラインへ移行。
場所に縛られないレッスンスタイルへ切り替えたことで、全国から受講生が集まるようになった。

「最初は仕事にするつもりではなかったんです。でも、『教え方が分かりやすい』『英語が楽しくなった』と言っていただけることが増えて、これならもっと多くの人の役に立てるかもしれないと思いました。」

一方で、事業として成長していく中では、多くの課題にも直面した。
英語は独学で習得したものの、それを”再現性のある形”で人に教えることは別の難しさがあった。

「最初は、自分が使っていた参考書をそのまま教えているような状態でした。でも、人によってつまずくポイントも違えば、英語を学ぶ目的も違う。同じ教え方では通用しないと気付いたんです。」

そこから、一人ひとりに合わせた指導方法を模索する日々が始まる。

教材やレッスン資料を一から作り直し、決済システムや予約導線など、運営面も少しずつ整備していった。
受講生が増えるにつれ、一人では対応しきれなくなり、講師の育成にも着手。現在では、自身が培ってきたメソッドをもとに、統一したカリキュラムを提供できる体制を築いている。

「最初の頃は、自分が『これを学んだ方がいい』と思うことを押し付けていた部分もありました。でも、それでは続かないんですよね。」

そう振り返る龍輝さんが、今最も大切にしているのは、「相手に必要な英語だけを届けること」だ。

仕事で英語を使いたい人。
海外旅行をもっと楽しみたい人。
外国人のパートナーと自然に会話したい人。

英語を学ぶ目的は、一人ひとり異なる。

だからこそ、まずは受講生自身の目標や理想を丁寧に引き出し、その人にとって本当に必要な英語から学んでいく。

「英語を教える前に、その人が英語を使って何を実現したいのかを一緒に考えることを大切にしています。」

この考え方は、龍輝さん自身が英語を独学で身につけた経験から生まれたものでもある。

「学校英語は、使う場面がイメージできなかったから頭に入らなかった。でも、自分が必要だと思えた瞬間、一気に吸収できるようになりました。」

だからこそ、自身のスクールでは「覚える英語」ではなく、「使う英語」を重視している。
また、多くの英会話スクールが外国人講師を採用する中、あえて日本人講師を中心にしていることも大きな特徴だ。

「外国人講師は英語を話せて当然です。でも、日本人がどこでつまずくのか、日本語を介してどう理解すれば身につくのかは、同じように英語を習得した日本人だからこそ分かることがあります。」

英語を教えるのではなく、英語を身につけるまで寄り添う。
その姿勢は、多くの受講生から支持を集め、これまでに指導してきた人数は500名を超えた。

中には、「英語が怖い」と涙を流していた受講生もいる。
また、「復習なんてしない」と話していた経営者が、9か月後には通訳を介さず海外とやり取りできるようになったケースもあった。

そうした一人ひとりの変化を見るたびに、龍輝さんは改めて実感するという。

「英語が人生を変えるんじゃない。自信が人生を変えるんです。そして、その自信を与えられるのが英語なんだと思っています。」

英語は人生の可能性を広げるツールである

「英語が話せるようになることの価値は何ですか?」

そう尋ねると、龍輝さんは迷うことなくこう答えた。

「可能性が広がることです。」

幼い頃は、中国人であることに劣等感を抱いていた。
家庭環境やいじめ、勉強への苦手意識も重なり、自分に自信を持てない時間が長かった。

しかし、大学時代に英語を身につけたことで、自分を見る周囲の目が変わった。
そして、カナダ留学では、日本にいるだけでは知ることのできなかった価値観や文化、人との出会いが待っていた。

「英語を学んだから人生が変わったというより、英語を通して自信を持てたことで、挑戦できることが増えたんです。」

だからこそ、龍輝さんが伝えたいのは「英語を話せるようになること」だけではない。

その先にある、一人ひとりの人生の可能性を広げることこそが、本当の目的なのだ。

一方で、日本の英語教育には課題も感じている。

「学校で何年も勉強しているのに、『英語は苦手』と思ってしまう人が多いですよね。成功体験がないまま大人になってしまうから、『自分には無理だ』という思い込みができてしまうんです。」

だからこそ、「誰に教わるか」が何よりも重要だと考えている。

知識を一方的に教えるのではなく、生徒自身が考え、自分の言葉として英語を使えるようになること。
そのために、まずは「英語を使って何を叶えたいのか」を一緒に考えることからレッスンは始まる。

「受け身ではなく、自分で考えることが大切なんです。目的が明確になると、人は驚くほど成長します。」

教育者として最も大切にしていることも、とてもシンプルだ。
それは、「生徒一人ひとりの願いを叶えること」。
毎朝、自己啓発の動画を見て自分自身を磨くことも欠かさない。

「自分の価値を高め続けることで、生徒さんにもっと価値を届けられると思っています。」

今後は英会話スクールの運営だけにとどまらず、セミナー講師として「正しい英語教育」や「失敗しない英会話スクールの選び方」を発信していきたいと考えている。

さらに、中国市場を中心としたインバウンド支援や地方創生、日本の伝統文化を海外へ発信する取り組みにも挑戦したいという。

そして10年後には、生徒数1万人を超えるスクールをつくり、多くの人が集い、学び、交流できる場所を築くことが目標だ。

そんな未来を思い描く龍輝さんに、「過去の自分へ声を掛けるなら?」と尋ねると、優しく微笑みながらこう答えてくれた。

「『大丈夫だよ。』その一言ですね。」

将来に希望が持てず、自殺まで考えた少年時代。
英語ができないと笑われ、悔しさを糧に努力した大学時代。
夢を追い続けながらも、何度も思い通りにならない現実と向き合ってきた青年時代。

そのすべての経験が、今では「感謝」に変わっている。

「母には本当に感謝しています。父にも感謝しています。いじめられたことも、英語を笑われたことも、全部が今の自分をつくってくれました。あの経験がなければ、空手も英語も、この仕事もありませんでした。」

人生に無駄な経験は一つもない。
だからこそ、今苦しんでいる人にも伝えたい言葉がある。

「諦めなければ、人生は変えられます。死ななければ、何でもできます。」

その言葉は、どんな逆境の中でも前を向き続け、自ら人生を切り拓いてきた龍輝さんだからこそ、まっすぐ心に響く。

英語は、人生を変える魔法ではない。自分を信じるきっかけになる。
そして、その小さな自信が、新しい世界への一歩につながっていくのだ。

人生を変えるのは、才能ではなく「きっかけ」

「英語は簡単に習得できます。大切なのは、誰に教わるかです。」

龍輝さんは、そう力強く語る。
その言葉の本質は、英語だけに向けられたものではない。

幼い頃に経験した家庭環境の変化や貧困、いじめ。将来への希望を見失い、自ら命を絶つことまで考えた日々。大学では英語ができないことを笑われ、夢だった俳優の道も、社会情勢によって思うように進めなかった。

それでも、龍輝さんは決して前進することを諦めなかった。
悔しさを努力に変え、挫折を学びに変え、人との出会いを感謝へと変えながら、一歩ずつ人生を切り拓いてきた。

だからこそ今、英語を教えることは目的ではなく、その先にある「人生の可能性」を広げることが使命だと考えている。

一人ひとりが自分の可能性を信じ、新しい一歩を踏み出せるように。
英語を通じて、自信を持ち、挑戦する勇気を持てるように。

そんな未来をつくるために、龍輝さんは日々生徒一人ひとりと真摯に向き合い続けている。
もし今、「自分には無理だ」と思っていることがあるなら、龍輝さんの歩みを思い出してほしい。

人生は、いつからでも変えられる。
そして、その最初の一歩は、ほんの小さな「きっかけ」なのかもしれない。

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龍輝さんが目指しているのは、「英語を教えること」ではなく、一人ひとりが自分の可能性に気づき、自信を持って新たな一歩を踏み出せるきっかけを届けること。

その想いや「スクール:Ryuki Global Leaders Academy」の詳細については、ぜひ公式サイトをご覧ください。

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