挫折の先に見えた“Repro(再生)”──元DJが民泊で描く、第二の夢

interview

FM802や文化放送、FM愛知──
人気ラジオ局でマイクを握り、音楽と人をつなぐ声を届けていた青年がいた。
彼の名前は、羽田 徹(はだ とおる)。かつての夢は「ラジオDJとして、誰かの心を動かすこと」。
だが、31歳の時にその夢は終わりを告げる。結婚からわずか半年後、帯番組を降板し、
「僕の戦いもここで終わった」と呟いたという。

しかし、人生の本当の物語はそこから始まった。
絶望の淵で支えてくれた奥様の言葉、売上ゼロの日々、そして“再生”というテーマに出会うまでの道のり。
今、彼は「Villa Repro(ヴィラ・リプロ)」の代表として、
空き家や町を再生させる「別荘民泊プロデューサー」として走り続けている。

これは、何度倒れても立ち上がった“再生屋”・羽田 徹の、人生リスタートの物語である。

夢を叶えた青年、そして喪失の始まり

大阪出身の羽田徹は、学生時代から音楽とラジオが大好きだった。

「FM802」のオーディションで合格し、若くして人気番組のDJとなる。

憧れのアーティストと共演し、リスナーにも愛される──
まさに夢のど真ん中を生きていた。

しかし、28歳の夏。
終戦記念日である8月15日に、師匠から「番組降板」を告げられる。
“僕の戦いもここで終わった”──
そう呟きながらトイレの個室で泣いたあの日を、今でも忘れられないという。

その後も文化放送やFM愛知など、全国ネットの番組を担当。
だが31歳、結婚から半年後に再び帯番組を失う。
ラジオDJとしての道は完全に閉ざされた。
涙ながらに降板を報告した羽田さんに、奥様は静かに言った。

「あんたなら、何をやっても生きていけるから大丈夫。」

その言葉に背中を押され、羽田さんは“再生”の第一歩を踏み出した。

プライドが砕けた365日

ラジオの世界を離れ、不動産営業の世界へ。
だがそこには、全く別の現実が待っていた。

「電話をかければ“迷惑だ!”と怒鳴られる。
喋ることで喜ばれていた自分が、今は嫌がられる存在になった。
プライドなんて一瞬で崩れました。」

1年間、売上ゼロ。
奥様との喧嘩も増え、ついに家を出てしまう日もあった。

そんなある日、初めて“契約目前”の顧客が現れる。
完璧なプレゼンを用意し、自信満々で挑む。
しかし結果は──「今回は不動産ではなく保険にする」と断られた。

納得がいかず理由を問うと、
「君は商品を語った。でも、保険の営業マンは“僕の人生”を語った」と言われる。

その瞬間、公園のトイレで声を上げて泣いた。
「相手の人生を見ていなかった。自分本位だった。」
この出来事が、羽田さんの“寄り添う力”を育てる転機となった。

どん底の時期、支えてくれたのはやはり奥様の存在だった。

「私も働くから、一緒に頑張ろう」──その言葉に、どれほど救われただろう。
収入がなく、自信も誇りも失っていた自分を、奥様は一度も責めなかったという。

代わりに「あなたが笑っている方が、私も安心できる」と言ってくれた。
その一言で、羽田さんは初めて“自分のため”ではなく“誰かのため”に頑張りたいと思えたという。

「妻は、僕を再生させてくれた人です」と今も笑う。

「教育が人を変える」と知った眼鏡屋時代

次に羽田さんが身を置いたのは、倒産寸前の眼鏡チェーン店。
取締役として全店舗を統括し、組織改革に挑んだ。

「現場の声を聞くと、“マネージャーなんてなりたくない”と言う若手ばかり。
リーダーが尊敬されない会社は、絶対に伸びない。
だから僕は“人”を変えることから始めました。」

マネージャー総選挙の導入、成果を正当に評価する制度、
そして主体性を育てる店舗主導の仕組み。
教育によって、社員たちの目が輝き出した。

「“異動するくらいなら辞める”と言っていた社員が、3年後には海外拠点の責任者になった。
人って、環境次第で本当に変わる。」

この経験が、後の“再生”という人生テーマを決定づけた。
人も会社も、諦めなければ再生できる。
それを実感した瞬間だった。

民泊が教えてくれた“再生”の力

44歳で独立し、「別荘民泊」に出会った。
きっかけは単純だった。

「自分の別荘が欲しくて探していたけど、
維持費がもったいないから、民泊にすればいいか──と。」

軽い気持ちで始めた1軒目の民泊は、予想を超える人気で予約が殺到。

「別荘を使いたくても、いつも埋まってて行けない。
その時に思ったんです。これ、事業になるなって。
でも、それ以上に“再生”の力を感じた。」

誰からも見放された空き家を蘇らせ、人が集まり、笑顔が生まれる。
それは、自分の人生が再び輝き出した姿と重なった。

「僕は、誰にも必要とされなかったものを再生させることに生きがいを感じる。
それは、僕自身がそうだったから。」

現在では、地元自治体や観光協会とも連携し、
空き家を活用した地域再生プロジェクトを進めている。

ある時、山梨の山奥にあった築40年の別荘をリノベーションした(崩れかけのログハウス再生)。

  • 山梨県の機織り工場を再生した際の新聞記事

かつては雑草が生い茂り、近隣住民からも“危険な空き家”と呼ばれていた建物だ。

それが今では、家族連れが焚き火を囲み、子どもたちの笑い声が響く宿になった。
「灯りが戻って嬉しい」と地元の方に言われた瞬間、
“この仕事には、人を幸せにする力がある”と確信した。

“Repro”──再生。
それは羽田 徹という男自身の、生き方そのものだった。

“再生世代”が日本を変える

「31歳で夢を失った僕が、52歳の今、あの頃よりも大きな夢を見ています。」

ラジオで声を届けた青年は、今、再生を通して希望を届けている。

「民泊を始めて7年で年商1億円を達成。
人生は何度だってやり直せると証明できた。」

そして今度は、同世代に伝えたい。

「50代からだって夢は見られる。
団塊ジュニア世代が元気にならなければ、日本は元気になれない。」

民泊は、年齢も経験も関係なく挑戦できる。
人生経験がそのまま活き、地域の再生にもつながる。

「僕は“再生”で人生を取り戻した。
だから今度は、世の中を再生させたい。
夢は、何歳からでも見られるんです。」

もう一度、人生を“Repro”しよう

羽田さんの歩んだ道は、「人生のリノベーション」そのもの。
壊れても、終わっても、人は何度でも立ち上がれる。

再生とは、物件だけの話ではない。
“見放されたものにもう一度光を当てる”という、生き方の象徴だ。

「見放されたものを再生すること。
それが僕の生き方であり、日本を元気にする方法なんです。」

空き家も、町も、人の心も──再生は連鎖する。
己の挑戦が、やがて社会を動かす。
“再生の国・日本”を、この手で創りたいと願い、行動することが再生の鍵になるのではないだろうか。

もし今、夢を諦めかけている人がいるなら、どうか思い出してほしい。
失敗しても、立ち止まってもいい。
大切なのは、もう一度“始めよう”と思える瞬間を自分の中に見つけること。

夢を見失ったあの日の自分が、今の僕をつくってくれたように。

人生は、何度でもRepro(再生)できる。
それを信じる人が増えれば、きっと日本も再び輝く国になる──そう、信じたい。

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