「どうにかなる、どうにでもなる。」社会人からシンガーへ──上別府 竜聖が歌に込める“生きる希望”

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「どうにかなる どうにでもなる。お前は生きてるんだから 何もかも笑いに変えてやれ」

苦しんでいる誰かに、こんな言葉を届けたい──そんな想いを込めて、上別府 竜聖さんは歌い続けている。

東京都出身、今年で28歳。25歳までごく普通の会社員として働いていたが、「友人が夢を追う姿に刺激を受け、自分も挑戦しなければ一生後悔する」と感じ、シンガーへの道を選んだ。

路上ライブ、本八幡駅。小さなステージから始まった彼の挑戦は、やがて“歌で誰かの人生を救う”という大きな目標へと繋がっていく。

高校時代に生まれた“座右の銘”が原点に

代表曲「ピエロ」に込められたメッセージの出発点は、上別府さん自身が高校時代に口にしていた“座右の銘”だった。

その言葉は「笑いの転換」。 当時の上別府さんは、いじられることもあれば、いじることもあるような、場を和ませる空気づくりが得意な存在だった。

「たしかにいじられることも多かったですけど、それを全部笑いに変えてやろうと思ってたんです」

そんな明るさと芯の強さが融合して生まれたのが、「ピエロ」の世界観だ。

「辛いことも苦しいことも、全部笑いに変えて生きていけば、人生なんとでもなる。そんな想いを詰め込んで書きました」

歌詞の中で最初に浮かんだのは、まさにこの信念を象徴するフレーズ。 「なにもかも笑いに変えてやれ」

「めちゃくちゃ尖ってて、いい感じだな」と思ったという。
「グサグサ刺され!」と願うような気持ちでノートに言葉を綴り、プロデューサーと相談しながら丁寧に形にしていった。

自分の個性をどう活かせばいいか迷ったことがある人や、笑われる経験をポジティブに変えたいと思ったことがある人へ。
「ピエロ」は、、そんな境遇の中にいる人たちに「捉え方次第で未来は変わる」と伝えられるような、寄り添いと励ましの歌になればという想いも込められているのではないだろうか。

25歳、挑戦の決意

人生を変えるような決断には、怖さがつきまとう。しかし、上別府さんは「怖さはなかった」と言い切る。 「やると決めた以上、誰に何を思われても関係ない。それくらいの気持ちで挑戦していました」

音楽の道を志すと決めてからは、オーディションに応募し、ボイストレーニングにも通い始めた。
家族や友人たちは背中を押してくれた。
そうした応援が、行動に踏み出す自信へとつながっていった。

音楽を通じて得たのは、かけがえのない出会いの数々。
夢だった芸人との縁、人の繋がりで始めた趣味のキックボクシング、そこで広がった新しい人脈、そして何より「最高の奥様」とも出会えた。

そんな数々の出会いや経験が導いてくれたのは、「もっと大きな夢を見てもいい」という確信だった。

いま上別府さんが目指しているのは、ずっと応援し続けてきた「ももいろクローバーZ」との共演
そして、年末恒例の「ももいろ紅白歌合戦」への出場という大きな目標だ。

「“ピエロ”で赤組として出たい。衣装はもちろん、赤のセットアップでいきたいです(笑)」

彼にとって、ももクロは単なる“好きなグループ”ではない。
音楽に励まされ、背中を押され、辛い時も踏ん張る力をくれた存在。
その歌があったから、今こうして「自分も歌で誰かを支えたい」と思えるようになった。

だからこそ、もしその舞台に立てた時には、
“感謝”を込めて、自分の言葉で伝えたい想いがあるという。

「夢って、諦めなければ叶うんだってことを、自分の姿で証明したいんです」

そのために、SNSでの発信も、路上ライブも、一つひとつ地道に積み重ねている。
たとえまだ遠い夢でも、本気で信じるからこそ、道は拓けると信じている。

初めて迎えたレコーディングの日

部屋の一室のようなスタジオ。初めてのレコーディングは、やはり緊張があった。 「体が硬くなって、思うように声が出なかったりもしました」

ストレッチをしてリラックスしながら、何度も納得のいくテイクを重ねていく。 特に「ピエロ」はキーが高く、聞き手にとって「心地よく届くかどうか」を強く意識したという。

「ただ高音を出すんじゃなくて、感情を乗せて、届くように歌いたかった」

完成したときには、「これが自分の歌になるんだ」とワクワクが止まらなかった。 真っ先に報告したのは、両親だった。

「育ててくれたから、ここまで来られた。最初に伝えたかったのは親でした」

音楽が繋げた“ヒトの輪”

本八幡駅で行った初めての路上ライブ。
初めて立つ路上ステージに、緊張と高揚が入り混じる中、最初に声をかけてきたのは、思いがけず酔っ払いのおじさんだった。

「これ歌ってよ」と突然リクエストされて戸惑っていたところ、気づけばそのおじさんが自ら歌い出し、場が一気に和んでいく。
そして、シャ乱Qの「シングルベッド」を一緒に歌い始めたころには、通りすがりの若者たちが足を止め、自然とその場に人(ヒト)の輪ができていた。

そこにいた誰もが、年齢も肩書きも関係なく、“音楽”という共通言語だけで繋がっていた
声に出さなくても、視線やリズム、空気感で通じ合う。
あの一瞬、あの空間には、人の思いや感情が混ざり合い、調和していく空気があったという。

「会話がなくても、音楽があれば人は繋がれるんだって実感しました」

歌は誰かの想いを代弁し、傷ついた心を包み込み、笑いを生み、涙を許してくれる。
言葉にできないことも、歌なら伝えられる──。そんな力を、彼は“目の前の風景”として体感した。

「音楽って、人の素敵な部分を自然と引き出してくれるものだと思うんです。
ピエロという曲も、そんな優しい空間をつくるきっかけになれたら嬉しいです」

そして実際に、ライブやSNSでの発信を通じて、少しずつではあるがリアクションも届くようになってきた。
その中でも特に心に残っているのが、「前向けました」というひと言。

「その人の心にちゃんと届いてたんだと思えた。それが本当に嬉しくて……。
もっとたくさんの人にこの想いを届けたいと思いました」

“音楽で人を救いたい”──その想いが、少しずつ現実になりつつあることを実感した瞬間だった。

音楽の裏で支えてくれる人たち

奥様の存在は、上別府さんにとって、単なる“支え”という言葉では言い表せないほど大きなものだ。

「今日カラオケで練習するよ〜」「歌の撮影お願い〜」といった何気ない会話の中にも、自然なチームワークと信頼関係がある。
奥様自身も歌が上手く、ふたりでカラオケを楽しむ時間は、ただの娯楽ではなく「夢を共有する時間」でもあるという。

プロポーズのときには、TUBEの「プロポーズ」や「みかんハート」を涙ながらに聴いてくれた。
その姿に、これから一緒に歩んでいけるという確信を持ったという。

今では路上ライブの動画撮影や練習の付き添いはもちろん、SNS投稿や突発的な呼び出しにも笑顔で応えてくれる。
音楽活動の“表には出ない部分”を、献身的にサポートしているのが奥様だ。

「以前の恋人も、お互いに未来への想いは強かった。でも僕の夢に対して“応援できない”と言われたとき、すごく寂しかったんです。

今の奥さんは、僕の夢を“自分の夢”のように楽しんでくれる。人生のパートナーとして一緒に歩いてくれていると感じます」

支えてくれるのではなく、共に夢を描いてくれる人
それが、今の奥様なのだ。

「嫌な顔ひとつせず、いつも力になってくれる。だからこそ、歌い続けられるんです。
そして今は、自分の夢のためだけじゃなく、そんな奥様のためにも、歌を届け続けていきたいと思っています。」と語る。

救いの歌になる日まで──“命の選択”を変える一曲を

「もし、自殺しようとしていた人が、この曲を聴いてやめた──そう言ってもらえたなら、自分の歌が誰かを救えた証になると思います」

そう語る上別府さん自身、これまで何度も音楽に救われてきた。
苦しいとき、孤独なとき、何かに迷っていたとき──そのたびに、誰かの歌が背中を押してくれた。

「歌ってすごいんです。言葉にできない気持ちも代弁してくれて、感情に寄り添ってくれる。僕もそのひとりでした」

だからこそ、今度は「自分の歌」で誰かを救いたい。
それが、上別府さんの音楽に込める一番の願いだ。

自分がそうしてきたように、今度は自分の声で、誰かの“生きる選択”を後押ししたい。
「しんどいときに聴いて、前を向けた」そんなふうに思ってもらえる歌を、届けたい。

「自分が元気になったように、励まされたように──僕の歌で、少しでも前を向ける人が増えてほしいです」

より多くの人に届き、共感されるシンガーになること。
そして、誰かの1日や人生を変えるような“言葉とメロディ”を届ける存在になること──

「どんなことも笑いに変えて生きていこう。人生、どうにでもなるから。
死にたいと思う前に、まずは僕の曲を聴いてみてください」

今日もどこかで、彼の歌が、“生きる力”として誰かに届いている。

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