“強く見せる”ために始めた柔道。
“逃げない自分”になるために選んだ格闘技。
神奈川県出身、22歳。
柔道一筋で過ごした学生時代を経て、2025年9月にプロデビューを果たした格闘家・斎藤 主己(さいとう しゅみ)さん。
彼の目に映る「強さ」とは、ただ技を磨くことでも、誰かに勝つことでもない。
それは、怖くても、自分と向き合い続けることだった。
柔道は、自分を隠すための鎧
幼稚園のころから体が大きかった主己さん。
しかし、性格はおとなしく、気も強くなかった。
小学校2年生のとき、柔道を始めたのは「強くなりたい」という憧れよりも、
“気の弱い自分を隠すため”だった。
「柔道をやっている自分を見せることで、“強そうに見える”と思ってたんです。
実際は全然強くなかったけど、そう見せることで安心してた。」

柔道が好きというよりも、
“自分を守るための鎧”だった。
しかしその裏には、常に「本当は弱い自分」を見せたくないという苦しさがあった。
劣等感とプライドの狭間で
中学に進学しても柔道は続けた。
ただ、勉強も苦手で自信もなく、劣等感が常に心の中にあった。
部活では未経験者も多く、「なんで一緒にやらなきゃいけないんだ」と苛立つこともあった。
それは優越感ではなく、実は“自分に実力がない”ことを認めたくない気持ちの裏返しだった。

「市の大会で初めて表彰されたとき、“認められる嬉しさ”を感じたんです。
でも、それでもどこかで“自分は本当に強いのか”って疑ってました。」
“逃げ癖”と“プライド”の間で揺れ動きながら、
彼はまだ、本当の意味で自分と向き合えていなかった。
静岡での寮生活──逃げと支えの高校時代
中学の大会でスカウトされたことをきっかけに、
主己さんは静岡の高校へ進学することを決めた。
「地元を離れることに抵抗はなかったけど、入学初日にその考えは変わりました。
先生が想像以上に厳しくて、“もう辞めたい”って思いました。」
想像していた青春とは違う現実。
怒号の響く道場で、何度も心が折れかけた。

それでも続けられたのは、寮で出会った先輩や仲間たちの存在だった。
夜はみんなで道場に集まり、くだらない話や人狼ゲームをして笑い合った。
「先生来なきゃいいね」なんて冗談を交わす他愛もない時間が、
気づけば、自分の心を支えてくれていた。
家族とのLINEのやりとりの中には、「辞めたい」と連絡したことも。
でも、最後に返ってくる母の一言──
「頑張りな。」
そのたびに、もう少しだけ踏ん張ろうと思えた。
格闘技との出会い──強さへの憧れを形に
高校3年生の進路面談で、監督にこう伝えた。
「格闘技をやりたいです。」

それは、父が格闘技をしていた影響や、テレビで見る強い選手たちへの憧れから生まれた想いだった。
同級生にも同じ夢を持つ仲間がいて、互いに刺激を与え合う存在でもあった。
高校卒業後は、格闘技を本格的に始めるために、地元・神奈川の工場へ就職。
練習に通える環境を優先しての選択だった。
仕事を終えると、そのままジムへ向かうという生活を続けていたが、
次第に出張が増え、思うように練習時間が取れなくなっていった。
「格闘技ができない生活が、一番ストレスでした。」
やがて退職を決意。
その後は引越し、飲食、現場仕事など、さまざまなアルバイトをしながら練習を続けた。
「どの職場も“格闘技をやってるんだ”って応援してくれる人ばかりで。
だからこそ“恩返ししたい”という気持ちが強くなっていきました。」
小豆島での気づき──“自分を洗う旅”
香川県・小豆島。
そこは祖母の故郷であり、幼いころ夏休みに過ごした思い出の地だった。
20歳のとき、友人との旅行で再びその地を訪れた。
神戸で試合を観戦した帰り道、フェリーに乗って立ち寄った小豆島は、
記憶のままに穏やかで、懐かしい空気に満ちていた。
「故郷ではないけど、“帰ってきた”感覚でした。
ここで感じた“安心”や“ぬくもり”は、ずっと自分の中にあったものなんだって、確かめられた気がしたんです。」
その頃の主己さんは、格闘技を続けながらも、
結果が出ないことへの焦りや、自分に対する不安を感じていた。
「このままでいいのか」と心のどこかで問い続けていた時期だった。
そんな中で始めたのが、お遍路巡り。
スマホを手放し、自然の中で静かに過ごす時間をつくった。
忙しさの中で置き去りにしていた“自分の声”に、耳を傾けたかったからだ。

そして2025年1月、巡礼中に出会った一人の住職。
何気ない会話の中で、主己さんはその迷いを打ち明けた。
「格闘技を続けるか、迷っているんです。」
住職は、穏やかに微笑んで言った。
「頑張った先に、応援してくれる人が現れる。
そして、自分を満足させることが大事だよ。」
その言葉が、主己さんの心を揺らした。
「もう一度、やってみよう」と思えた。
あの一言が、彼を再び“前へ”と押し出した。
小豆島で見つけた、“誰かのために動く”という選択
お遍路を通じて、小豆島との縁は一度きりのものでは終わらなかった。
住職との出会いをきっかけに、主己さんの中で
「この島で、自分にできることは何だろう」
そんな問いが芽生えるようになったという。
そんなある日、住職に何気なくこんな話をした。
「ミット打ちや、柔術の護身術みたいなものを、島の人たちに教える会ができたらいいなって思っていて。」
すると住職はその想いに共感し、島の子どもたちや保護者が参加しているLINEグループで、その企画を発信してくれた。
2025年6月。
主己さんは約1週間、小豆島に滞在し、ミット打ちや簡単な護身術を教える会を実際に開催した。
企画から開催までを自分主体で経験したことがきっかけで、後に自分ができることを目の前の人に届けて満足してもらいたいという気持ちを芽生えさせることに繋がる。
子どもたちだけでなく、保護者の方も一緒に集まり、そこには笑い声が響くあたたかな時間が流れていた。
「正直、最初は人が来てくれるか不安でした。
でも、来てくれた人たちの顔を見たとき、“あ、自分がやりたかったことが、ちゃんと形になった”って思えたんです。」
それは、試合や勝敗とはまったく違う感覚だった。
初めて、“誰かのために動いた実感”が、そこにあった。
小豆島には、年に三度ほど行われる行事がある。
最近も島を訪れ、護摩焚きのお手伝いに参加したという。
護摩焚きでは、人々が書いた願い事を炎にくべていく。
その一つひとつに目を通す中で、主己さんはあることに気づいた。

「“家族が健康でありますように”
“健康になりたい”
そういう願いが、すごく多かったんです。」
その光景を前に、“人の願いに触れる責任”のようなものを、強く感じたという。
「だからこそ、ちゃんと知識を持って、体のことや健康のことを、人に伝えられるようになりたいと思いました。」
実は、父親の体調が優れない時期が続いていたことも相まって、その想いが加速した。
「もし、自分が学んできたことや、これから身につけることが、誰かの体や人生を少しでも支えられるなら。それは、父にも、島の人たちにも、返せるものなんじゃないかって。」
格闘技は、闘うためだけのものではない。
人と人をつなぎ、誰かの生活に寄り添う力にもなり得る。
小豆島での経験は、主己さんにそんな“新しい役割”を教えてくれた。
プロデビュー──“怖さ”の中にある希望
主己さんが練習拠点として通うのは、東京・中野にある格闘技ジム「Naughty House」。
指導を受けているコーチ・コクエイマックスさんのもとで、基礎から徹底的に鍛え直した。
「技術面だけじゃなく、“考える力”や“自分で決める勇気”を教わりました。
ただ強くなるための練習じゃなく、“人としてどう在るか”を学んでいます。」
2025年9月。
アマチュア時代に積み重ねてきた日々が、ようやく形になった。
仕事を終えてからの夜練、仲間と声を掛け合いながらのスパー、
どれもが簡単ではなかったけれど、その積み重ねが確実に自信へと変わっていった。
ミットを打ち合う音が響くジムの空気には、悔しさも、努力も、仲間の想いも混ざっていた。
ある日、コーチが静かに言った。
「そろそろ、プロを目指してみないか。」
その一言が、何よりもうれしかった。
自分の努力を、ずっと見てくれていた人がいた──。
仲間たちも「お前ならいける」と笑って背中を押してくれた。
その瞬間、彼の中で何かが確かに変わった。
そして、“斎藤 主己”はついにプロデビューのリングに立った。

試合前夜、胸の奥にはずっと小さな“怖さ”があった。
結果を残せるか、倒されるか、自分が本当に戦えるのか──。
けれど、その怖さこそが、これまで自分を支えてきた“弱さ”でもあった。
「試合は正直、今でも怖いです。
結果も怖いし、負けることも怖い。
でも、怖くても前に進むことが大事なんです。」
かつて、柔道を“自分を隠すための鎧”として選んでいた少年が、
いまは“弱さを受け入れたまま闘う”格闘家としてリングに立っている。
恐怖の先にしか見えない景色がある。
格闘技は、彼にとって“自分と向き合うための道”。
「同じように迷っている人、自分に自信がない人に、“それでも進めるんだよ”って伝えたいんです。」
その言葉には、勝敗では測れない“人としての強さ”が滲んでいた。
彼の拳は、誰かを倒すためだけではなく、
かつての自分──“弱さに怯えていた少年”にも届いている。
自分の経験を、誰かの健康のために
彼の拳は、誰かを倒すためだけにあるものではない。
かつての自分──“弱さに怯えていた少年”と向き合い続けてきた、その延長線上にある。
格闘技を通して、身体の使い方を知った。
限界を感じ、怪我や疲労と向き合い、「どうすれば人は長く、健康でいられるのか」を考えるようになった。
そして、小豆島での経験。
子どもたちに身体を動かす楽しさを伝え、護摩焚きで人々の願いに触れたとき、多くの人が「健康」を願っていることに気づいた。
「闘うだけじゃなくて、自分の経験を“誰かの健康を支えること”に使いたいと思うようになりました。」
いま主己さんは、トレーナーとして身体を動かす場をつくることにも力を入れている。
学校の体育館を借りて、トレーニングを教える場を設けるなど、少しずつだが確実に活動を広げている。
今後は、トレーニングだけでなく、栄養や食事といった面からも学びを深め、内面と外面の両方から、人の健康を本質的に支えられる存在になることを目指している。
「これまでは、自分が強くなることに必死でした。でもこれからは、自分の経験が誰かの役に立つなら、そのほうが嬉しいと思えるようになりました。」
人前で自分を語ることは、今でも得意ではない。
それでも、誰かの背中をそっと押せるなら──
その一歩には、意味があると信じている。

斎藤 主己の人生は、プロデビューで終わらない。
闘うことを知った彼は、いま「支える」という、新たな役割へと歩き出している。
“怖くても、前へ。”
その言葉を胸に、彼はこれからも、人の健康と人生に寄り添い続けていく。
▼SNSリンク・活動情報
▶︎ 所属ジム
Naughty House
指導:コクエイマックス
公式サイト:https://www.naughtyhouse.jp/
▶︎ SNS
Instagram:https://www.instagram.com/saito.shumi
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