「壊れた身体でも、人生は終わらない」──吉川 大祐が“支える側”に回った理由

interview

“壊れた身体でも、人生は終わらない。”

そんな言葉を、どこか遠くの話のように感じていた人もいるかもしれない。
けれど、吉川 大祐(よしかわ だいすけ)の歩んできた道を知ると、その意味が少しだけ現実味を帯びてくる。

野球での挫折、度重なるケガ、うつ病、そして命に関わる大病。
振り返れば、何度も立ち止まらざるを得ない出来事があった。

それでも彼は、不思議と歩みを止めなかった。

戦うことをやめなかった人が、やがて“支える側”に回る。
その選択には、言葉では表しきれない重みがある。

介護士として命と向き合いながら、格闘技トレーナーとして選手を支える日々。
そこには、彼なりの「生きる意味」が静かに根付いているように感じた。

少年が抱いていた「プロになりたい」という執念

東京都江戸川区。
下町の空気が残るこの街で、吉川さんは育った。

幼い頃の彼は、いわゆる“目立つタイプ”ではなかった。
どちらかといえば物静かで、人見知り。自分から積極的に輪に入っていくような性格でもなかったという。

うまく言葉にできない感情を抱えたまま、周囲と距離を感じることもあった。
時には、からかわれたり、心ない言葉を受けたりすることもあった。

それでも、彼の中にはずっと消えないものがあった。

野球だ。

きっかけは、祖父に連れられて外でボールを投げた、何気ない時間だった。
初めて握ったグローブ、初めて振ったバット。

そのとき、祖父が何気なく言った一言を、彼はずっと覚えている。

「お前はプロになれる」

子どもに向けた、よくある励ましの言葉だったのかもしれない。
けれど、彼にとっては違った。

その一言が、心のどこかに残り続けていた。

家庭は決して裕福ではなかった。
だからこそ、「プロになって親を楽にしたい」
そんな想いも、少しずつ形になっていった。

放課後も、休日も、気づけば野球ばかりしていた。
遊びといえば、グラウンドでボールを追いかけるか、ひとりで釣りに出かけるか。

同年代の友達がゲームに夢中になる中で、
彼はただ、野球に時間を費やしていた。

それが当たり前で、それ以外の選択肢はあまりなかった。

小学生の頃、地域で「このピッチャーからは打てない」と言われていた相手がいた。
その投手から、ホームランを打ったことがある。

後から聞いた話だが、その試合を見に来ていた親は、涙を流して喜んでいたという。

その光景を、直接見たわけではない。
けれど、その話を聞いたとき、胸の奥に何かが残った。

「もしかしたら、本当にいけるかもしれない」

そんな小さな確信のようなものが、胸のどこかに芽生えていた。

努力すれば、結果が出る。
続けていれば、道は開ける。

あの頃の自分は、そう信じていた。

まだ、知らなかっただけだ。
どれだけ努力しても、思い通りにいかない現実があるということを。

そして、その現実が、これから自分の人生を大きく変えていくことを──。

夢がほどけた日と、それでも残ったもの

高校に進学してからも、彼の生活は変わらなかった。
むしろ、より一層、野球中心の毎日になっていく。

朝から晩まで練習。
厳しい上下関係の中で、理不尽だと感じる場面も少なくなかった。

それでも、彼にとっては“当たり前”だった。
プロになるために必要なことだと思えば、受け入れるしかなかった。

ただ、ある日を境に、その日常は突然途切れる。

練習試合の最中だった。
いつものように投げようとしたその瞬間、腰に鋭い痛みが走る。

力が入らない。ボールが投げられない。
何が起きているのか、自分でも理解が追いつかなかった。

診断は、腰椎分離症。

その言葉の重さを、すぐに理解できたわけではない。
ただ、「今まで通りにはいかない」ということだけは、はっきりしていた。

そこから、長いリハビリ生活が始まる。

約8ヶ月。
グラウンドに立てない時間は、思っていた以上に長く、静かだった。

周りの仲間は、当たり前のように練習を続けている。
自分だけが、その輪の外にいるような感覚。

焦りもあった。悔しさもあった。
けれど、それ以上に強く残っていたのは、「申し訳なさ」だった。

ここまで支えてくれた親に対して。
期待してくれていた人たちに対して。

何もできない自分が、ただそこにいる。

そんな時間だった。

それでも、諦めるという選択肢はなかった。
少しずつでもいいから、もう一度マウンドに立ちたい。

その一心で、リハビリに向き合い続けた。

そして迎えた、復帰戦。

久しぶりに立つマウンド。
緊張よりも先に、「戻ってこれた」という感覚があった。

結果は、9回1失点の完投。

数字だけ見れば、申し分ない内容だった。
けれど、その裏側には、言葉にできないほどの時間と葛藤が積み重なっていた。

「やっと戻ってこれた」

そんな安堵にも似た感情が、全身に広がっていく。

このまま、また前に進める。
そう思えた、ほんの束の間の出来事だった。

復帰から、およそ半年後。

同じ場所が、再び悲鳴をあげることに。

再発だった。

今度は、前よりも現実を理解していた分だけ、重くのしかかる。

「もう無理かもしれない」

そう思った瞬間も、正直あった。

これまで積み上げてきたものが、音もなく崩れていくような感覚。
どうすればいいのか、何を選べばいいのか、わからなくなっていく。

そんな中で、周囲からかけられる言葉があった。

「もったいないね」
「かわいそうに」
「若いのに大変だね」

どれも悪気のない言葉だったと思う。
けれど、その一つひとつが、胸に引っかかっていた。

不思議なことに、親は多くを語らなかった。

「どうするかは、お前が決めろ」

そのスタンスは、ずっと変わらなかった。

だからこそ、余計に考える時間が増えたのかもしれない。

このまま野球を続けるのか。
それとも、違う道を選ぶのか。

悩んだ末に、彼が選んだのは──
“支える側に回る”という選択だった。

自分と同じような経験をする人を、これ以上増やしたくない。
そんな想いが芽生えていた。

プレーヤーとしての道は、ここで一区切りを迎える。
けれど、野球が教えてくれたものが消えたわけではない。

むしろ、この経験こそが、
これからの人生を形作っていくことになる。

まだ、このときの彼は知らない。

この挫折が、やがて別の形で“戦う理由”に変わっていくことを。

それでも、もう一度リングへ

野球から離れる決断をしたあとも、
「戦うこと」を手放したわけではなかった。

きっかけは、高校時代からの親友だった。

「ボクシング、やってみないか」

何度も誘われていた言葉。
当時は野球にすべてを注いでいたため、どこか遠くに置いていた選択肢だった。

けれど、野球という道が途切れたとき、
その言葉が、現実味を帯びてくる。

“もう一度、何かに本気で向き合いたい”

そんな想いが、心の奥に残っていた。

大学では柔道整復学を学びながら、ボクシングにも打ち込む日々が始まる。
授業を終えてジムへ向かい、週末はアルバイト。

華やかな学生生活とは少し違う、淡々とした毎日だった。

それでも、リングの上に立つ時間だけは、どこか特別だった。

ただ、現実はそう甘くなかった。

打たれ弱い。
試合には出せない。

そんな評価を受けたこともある。

それでもやめなかった。
むしろ、少しずつでも前に進んでいる感覚があったからかもしれない。

やがて試合に出る機会も増え、
「やれるかもしれない」という手応えも生まれ始めていた。

そんな中で迎えた、大きな試合。

相手は、100戦以上のキャリアを持つ選手だった。

結果は、完敗。

言葉にならないほどの差を、真正面から突きつけられた。

その日を境に、彼の中で何かが崩れていく。

それまで積み上げてきた自信が、音を立てて崩れ落ちた。

起き上がれない日が続いた。
体は動くのに、心がついてこない。

気づけば、何もできないまま時間だけが過ぎていく。

病院で告げられたのは、「うつ病」という診断だった。

理由があるようで、ないような感覚。
ただ、自分の中にあった“何か”が、確実に壊れていた。

眠れない夜が続き、
目を閉じても、何も考えられない。

それでも、時間はゆっくりと流れていく。

少しずつ、少しずつ。
気づけば、また体を起こせるようになっていた。

完全に元通りというわけではない。
けれど、“前を向く感覚”は、確かに戻ってきていた。

そんな中、さらに大きな出来事が訪れる。

練習中、突然倒れた。

診断は、急性硬膜下血腫。

「ボクシングはやめた方がいい」

医師からそう告げられた。

当然の判断だったと思う。
命に関わるリスクを考えれば、やめるのが普通だ。

それでも、彼の中にあったのは、不思議と“恐怖”ではなかった。

「ここで終わってもいい」

そう思っていた。

怖くなかったわけではない。
ただ、それ以上に、“ここで終わること”への抵抗が強かった。

野球で叶えられなかった「プロ」という存在。
その未練が、どこかに残っていたのかもしれない。

「もう一度、挑戦したい」

その想いだけを頼りに、彼は再びリングへと戻る。

27歳。
決して若いとは言えない年齢で、プロテストを受ける。

格闘技ルール筆記試験と、スパーリング。
すべてをクリアし、合格の通知が届いた。

「プロになったんだ」

その瞬間、意外にも大きな感情の波はなかったという。

ただひとつ、
“ここからは見られる側になる”という意識の方が強かった。

ようやく手にした、プロという舞台。

けれど、それは決してゴールではなかった。
むしろ、新たな現実の始まりだったのかもしれない。

勝っても、負けても残るもの

プロとしてリングに立つ。

その響きは、どこか特別なものに感じる。
けれど実際は、華やかさよりも、現実の方が色濃く残る場所だった。

彼にとってのデビュー戦も、決して万全な状態ではなかった。

試合の1か月前、肉離れ。
さらに肋骨の骨折、鼻の骨折。

それでも、リングに上がった。

棄権すれば罰金が発生するトーナメント。
逃げるという選択肢は、最初からなかった。

どこか冷静に、自分の状態を受け入れていたのかもしれない。

「この状況でも、やるしかない」

そんな気持ちで臨んだ試合だった。

結果は、勝利。

2ラウンドでダウンを奪い、そのまま勝ち切った。

ただ、その勝利がすべてを変えたわけではない。
むしろ、ここからが本当の戦いだった。

次の試合で、失神負け。

一瞬で意識が途切れる感覚。
気づいたときには、試合は終わっていた。

体に残るダメージ以上に、心に残るものの方が大きかった。

“攻めきれない”

そんな感覚が、どこかに残り続ける。

本来なら踏み込める場面でも、一瞬ためらってしまう。
ほんのわずかなズレが、結果に大きく影響する世界だった。

それでも、リングに立ち続けた。

勝つために。
そして、自分の中に残る何かを確かめるために。

けれど、思うような結果には繋がらなかった。

引退を意識し始めたのは、ある一戦だった。

試合の1か月前、39度を超えるインフルエンザ。
思うように体重も落ちず、コンディションも整わない。

それでも、試合には出た。

その日は、父親の誕生日だった。

ボクシングパンツには、その日付を入れていた。
ひとつの区切りになるかもしれない、そんな予感があったのかもしれない。

結果は、敗北。

試合が終わったあと、かけられた言葉がある。

「意外と応援してくれる人、いるんだな」

自分では気づいていなかっただけで、
いつの間にか、誰かの中で“応援される存在”になっていた。

それは、嬉しさとも、少しの戸惑いとも言える感情だった。

当日のチケットを父親に渡しに行ったとき、
「これでボクシングやめろよ」と言われたこともある。

一方で、試合後に実家へ顔を出したとき、父からこんな言葉もかけられた。

「こんなに応援してくれる人がいるのに、もったいないな」

どちらの言葉も、間違ってはいないと思った。

ただ、自分の中では、答えはもう決まっていた。

相手は、決して強い選手ではなかった。
それでも勝てなかった。

その事実を、受け入れるしかなかった。

これ以上、前線で戦い続けることは難しい。
そう判断した。

30歳。
ひとつの区切りとして、リングを降りる決断をする。

悔しさがなかったわけではない。
むしろ、負けた試合の記憶の方が、強く残っている。

それでも──

やりきった、という感覚は確かにあった。
勝ち負けだけでは測れないものが、そこには残っていた。

リングを降りたあと、しばらくは、少し宙に浮いたような時間が続いた。
何をすればいいのか、はっきりとは見えていなかった。

ただひとつ、はっきりしていたのは、
“ここで終わりではない”ということだった。

「支える側」で見えた景色

リングを降りてからの一年は、どこか実感の湧かない期間だった。

これまでのように、何かに追われることもない。
かといって、新しい目標が明確にあるわけでもない。

ふと気づくと、時間だけが過ぎている。
そんな日々が続いていた。

転機は、思いがけないところからやってくる。
それは、高校時代からの親友だった。

「トレーナー、やってくれないか」

何度も断った。
自分が誰かを指導する立場に立つことに、どこか抵抗があった。

選手として、思うように結果を残せなかった自分が、
誰かに何かを教える資格があるのか。

そんな迷いが、ずっとあった。

それでも、親友は引かなかった。

「ベルトを取るから。そのときまででいいから、やってほしい」

その言葉だけは、不思議とまっすぐ届いた。

こいつは本気で言っているんだ。
そう感じた。

条件をひとつだけつけた。

“ベルトを取るまでは、ファイトマネーは受け取らない”

どこか、自分自身への覚悟でもあったのかもしれない。

中途半端には関わらない。
やるなら、最後まで責任を持つ。

そうして、彼は“支える側”としての一歩を踏み出す。

最初は手探りだった。

どうすれば勝てるのか。
何を優先すべきなのか。

選手と向き合う中で、少しずつ見えてくるものがあった。

それは、技術だけではないということ。

“その人が、どう戦いたいのか”

そこに耳を傾けることの大切さだった。
介護の現場で学んできた感覚が、自然と重なっていく。

言葉にできない想いを、どう汲み取るか。
目の前の人が、本当に求めているものは何か。

否定せず、まず受け止める。

それが、彼のスタイルになっていった。
就任から間もない試合で、勝てるはずだった試合が敗戦となる。

悔しさが残った。
だからこそ、戦い方・普段のトレーニングから根本的に見直した。

得意なものだけで勝負するのではなく、
弱点にも目を向ける。

“7割を磨き、3割を底上げする”

そのバランスを意識したトレーニングに切り替えていく。
結果は、少しずつ形になっていった。

8戦5勝1敗2引。
そして、ランキング5位へ。

数字以上に残ったのは、ある言葉だった。

「お前がいなかったら、ここまで来れなかった」

選手の会長からかけられた一言。

それは、これまでのどんな結果よりも、深く心に残った。

プレイヤーとしてではなく、
“誰かのために関わることで生まれる価値”。

それを、初めて実感した瞬間だったのかもしれない。
リングの上で戦うことは終わった。

けれど、戦いそのものが終わったわけではない。

今度は、別の形で向き合っている。

誰かの可能性を引き出すこと。
その人が、自分らしく戦えるように支えること。

それが、今の吉川さんにとっての“戦い方”になっている。

命と向き合う日々の中で

トレーナーとしての活動と並行して、
彼は今も、介護士として働き続けている。

どちらか一方に絞るという選択もあったはずだ。
それでも彼は、そのどちらも手放そうとはしなかった。

理由を尋ねると、少し考えたあと、こう答えた。

「人と関わっていないと、自分が自分じゃなくなる気がするんです」

どこか、飾らない言葉だった。

介護の現場は、決して綺麗な部分だけではない。
むしろ、目を背けたくなるような現実と向き合う場面も多い。

彼が働くのは、人生の終わりに近い時間を過ごす人たちが集まる場所だ。

自宅での生活が難しくなり、施設に入ることになった人。
言葉で気持ちを伝えることが難しい人。

それぞれが、それぞれの人生を抱えている。
そんな人たちと、日々向き合っている。

だからこそ、大切にしていることがある。

「その人らしさを、ちゃんと見てあげること」

これは、トレーナーとしての関わり方にも、自然と繋がっていた。

選手が「これをやりたい」と言ったとき、
頭ごなしに否定することはしない。

まずは受け止めて、その上でどうすればいいかを一緒に考える。

それは、介護の現場で身についた感覚でもあった。

言葉にできない想いを、行動から読み取る。
表に出てこない本音を、汲み取ろうとする。

目の前の人を、ひとりの人間として見る。

シンプルだけれど、簡単ではないこと。
それを、毎日のように繰り返している。

あるとき、施設利用者の家族からメッセージをもらったことがある。

「うちのおばあちゃんを、ここまで生かしてくれてありがとうございます」

104歳まで生きた利用者のお孫さんからの言葉だった。
その一言を、吉川さんは今でも大切に心に残っているという。

これまで関わった方からいただいた手紙は、すべて保管しているという。

誰かの人生に関わるということ。
その重みと責任を、肌で感じている。

介護業界には、暗いニュースが取り上げられることも少なくない。
その現実に対して、彼はこう考えている。

「従業員が一人で抱え込んでしまう環境があるのかもしれない」

チームで支える仕事のはずが、
気づけば孤独の中で向き合っている人もいる。

だからこそ、自分はそうならないようにしている。

同じ職場で働く人の話も、最後までちゃんと聞く。
途中で遮らず、否定せず、受け止める。

それは、施設利用者に対してだけではない。

関わるすべての人に対して、同じ姿勢で向き合う。

「愛情を持って接すれば、ちゃんと返ってくると思うんです」

それは、お金や評価とは違う形の“リターン”なのかもしれない。

長く続けていく中で、
その感覚が薄れてしまう人もいるという。

それでも、彼は変えようとはしない。

どんなときでも、目の前の人に向き合う。
それが、自分にとって一番大切なことだから。

トレーナーとしての関わりも、同じだった。

結果を出すことはもちろん大事。
けれど、その前に、その人がどう在りたいのか。

そこに目を向けること。

それができて初めて、本当の意味で支えられると思っている。

リングの上で戦うこととは違う。
けれど、ここにも確かに“戦い”はある。

誰かの人生に、どう関わるのか。
どこまで責任を持つのか。

その問いに、日々向き合い続けている。

それでも、もう一度踏み出したい人へ

これまでの話を振り返ると、
順風満帆とは言い難い時間の方が多かったのかもしれない。

ケガ、挫折、うつ病、そして大病。
どこかで立ち止まっても、不思議ではなかった。

それでも、吉川さんは歩みを止めなかった。

特別な才能があったわけではない。
ずっと強いメンタルだったわけでもない。

むしろ、自分自身と向き合い続ける中で、
何度も迷い、揺れながら進んできた。

そんな彼が、いま伝えたいことは、とてもシンプルだった。

「結果って、結局メンタルが左右すると思うんです」

体の強さや技術だけではない。
最後にものを言うのは、その人の“内側”だという。

だからこそ、自分の状態を知ることが大切だと話す。

何がストレスになっているのか。
どこで無理をしているのか。

それは、他の誰でもなく、自分にしかわからない。

「ストレスから目を背けないことも大事だと思っています」

見て見ぬふりをすれば、その場は楽になるかもしれない。
けれど、根本的な解決にはならない。

本当にこのままでいいのか。
諦めて後悔しないか。

一度、自分に問いかけてみてほしいと語る。

その上で、もう一歩踏み出せるかどうか。
それが、大きな分かれ道になるのかもしれない。

そしてもうひとつ、大切にしていることがある。

「何でも、100%で取り組むこと」

無駄に見える時間も、
あとになって意味を持つことがある。

ただし、それは“全力で向き合った場合”に限る。

中途半端にやったことは、やはり中途半端なまま残る。

だからこそ、どんなことでもいい。
今やっていることに、しっかり向き合ってほしい。

その積み重ねが、やがて自分に返ってくる。

時間差はあるかもしれない。
すぐには結果が出ないこともある。

それでも、積み上げたものは、決して消えない。

そう信じて、彼は今も歩き続けている。

「支える」という選択の、その先へ

吉川さんは現在、
介護士として命と向き合いながら、
格闘技トレーナーとしても活動を続けている。

どちらの道も、簡単ではない。

それでも続けているのは、
“誰かのために関わること”に意味を感じているからだ。

プレイヤーとして戦っていた頃とは違う。

けれど今は、
誰かの人生に寄り添い、その一歩を支える立場にいる。

ケガを経験した人。
一度挑戦を諦めてしまった人。
もう一度、自分を変えたいと思っている人。

そんな人にとって、彼の存在は、
ただのトレーナーではないのかもしれない。

「この人なら、任せてみたい」

そう思える理由が、そこにはある。

もし、少しでも何かを変えたいと思っているなら。
その一歩を、預けてみてもいいのかもしれない。

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