シンガポールで生まれ、中国、日本、そして世界へ──。
6ヶ国を渡り歩いた男・川目 湧真(かわめ ようま)。
プロ契約を目前にしながらも、怪我、理不尽、孤独を味わった青年が見つけた“心”という答え。
本記事は、彼が歩んだ「夢の始まり」から「挫折の瞬間」までを綴る【前編】です。
世界を渡り歩いた少年期とサッカーの出会い
シンガポールで生まれ、中国、日本を行き来しながら育った少年がいる。
名前は、川目 湧真(かわめ ようま)。

父の仕事の関係で、2歳までシンガポール、そこから日本を経て、5歳からは中国・上海で小学校を卒業するまでの7年間を過ごした。
「物心ついたときから、国も言葉も違う環境が“当たり前”でした。
日本人だからこう、中国だからこう、という感覚はなくて、
どこに行っても“人としてどう在るか”が大事だと感じていましたね。」
多文化の中で培われたのは、誰とでも壁を作らずに向き合う柔軟さ。
それは後の人生で、彼を何度も救う“人間力”の原点になった。
サッカーとの出会いは5歳のとき。
きっかけは、幼稚園で見かけた“かっこいい男子”がボールを蹴っていたからだった。
憧れの延長で始めたサッカーに、気づけば夢中になっていた。

9歳のとき、正式にクラブチームへ加入。
自分たちの代が初代メンバーとしてスタートし、彼は副キャプテンを任された。
しかし、当時の彼は泣き虫で、体力もチームで下から数えた方が早いほど。
「練習が終わるたびに泣いていました。
それでも、なぜかサッカーをやめようとは思わなかった。
“できない自分を変えたい”──その想いだけで続けていました。」

努力と悔しさを繰り返しながら、彼の中に小さな芽が育ちはじめていた。
“上手くなりたい”という感情を超えて、“弱い自分に勝ちたい”という強い意志がそこにあった。
劣等感と怪我を乗り越えて
中学に進学した川目さんは、埼玉の中体連に所属するサッカー部に入った。
入学してすぐ、トップチームに呼ばれた。
けれど、そのポジションを守れたのは、わずか3ヶ月。
「練習についていけなくて、あっという間に外されました。
1軍でもなく、2軍でもない“1.5軍”。
午前中は2軍、午後は1軍の練習に混ざるという中途半端な立ち位置でした。」

悔しさを噛みしめながら、彼は誰よりも早くグラウンドに立ち、
誰よりも遅くまでボールを蹴った。
それでも試合には出られない日が続く。
そんな中、ひとつのきっかけが訪れた。
当時キャプテンを務めていた選手は、のちにイギリスからオファーを受けるほどの実力者。
その彼を、ある日の練習で“完封”したのだ。
「初めて、自分にも勝てるんだって思いました。
長友佑都選手がブレイクした頃で、自分もプロを目指していいのかもしれないって、
本気で思えた瞬間でした。」
しかし、彼の挑戦には常に“壁”があった。
高校では強豪校ではなく、あえて「弱いチームを強くしたい」と地元の学校を選んだ。
「勝ちたいからこそ、挑戦する」──その想いだけが原動力だった。
だが入学してすぐ、膝の半月板損傷。
手術を受け、リハビリを続けてもなかなか復帰できない。
部内で“復帰テスト”が課せられており、体力が戻らなければチームに戻れなかった。
結局、試合に出られないまま1年半が経ち、
ようやく復帰できたのは高校3年の頃。
そんな矢先、チーム内でトラブルが起き、多くの仲間が離れていった。
「自分ももう限界かもしれないと思って、監督に“辞めます”と伝えました。
そしたら監督が“戻ってきてほしい”って言ってくれて。
復帰テストなしで戻してくれたんです。」
信じてくれる人がいる──その事実が、
彼の中に新しい力を与えた。
高校卒業後、大学でもサッカーを続けることを決める。
しかし、大学1年目で前十字靭帯を断裂。
再び手術とリハビリに明け暮れる日々が始まった。

それでも、心のどこかに“まだ終わっていない”という想いがあった。
「怪我ばかりで思うようにいかなかったけど、
サッカーを辞める理由にはしたくなかった。
ただ、何かを掴むためには“今いる場所”を越えるしかない。
そう思って海外挑戦を決めました。」
周囲が安定を選ぶ中、彼は夢を追って海外へ渡ることを選ぶ。
不安よりも強かったのは、「このまま終わりたくない」という心の叫びだった。
海外挑戦と“報われない現実”
大学卒業後、川目さんは海外へと渡った。
向かった先はクロアチア──W杯準優勝で沸いた、あの年のことだ。
「アジアのチームからセレクションの話もあったんですが、
僕の中では“ヨーロッパでプロになる”という夢があった。
だから、準合格を辞退してでもクロアチアを選びました。」

鳶職で資金を稼ぎ、友人(※西村さん)の家に寝泊まりしながら働く日々。
「いつ死んでもおかしくない現場だ」と言われても、
“今日死んでも後悔はしない”と腹をくくった。
そんな覚悟が、社長の心を動かし、出発までの3ヶ月を働かせてもらえた。
現地で待っていたのは、想像を超える現実だった。
契約予定だったクラブが、国際移籍承諾書の不備で登録できず、
試合にも出られないまま“練習生扱い”。
エージェントは責任を大学や本人に押しつけ、謝罪の言葉もない。
そして、ある夜。
チーム関係者の食事会で、彼はアルコールを強要された。
「お前は遊びに来てるのか?」
「嫌なら帰れ。俺がチームに言えばすぐ日本に戻せる。」
飲めないはずの酒を無理やり注がれ、意識を失うまで飲まされた。
「気づいたら泣いていて、過呼吸になっていました。
その時、助けてくれたのは同部屋の仲間でした。
あの夜、自分の弱さを痛感した。もっと強く“NO”と言えたら、と。」

それでも、彼は腐らなかった。
帰国前日にチームのマネージャーから手渡されたのは、来季のユニフォーム。
「試合に出せなくてごめん。来シーズン、一緒に戦おう。」
ようやく報われた瞬間──そう思った。
だが、数週間後に届いた連絡は冷酷だった。
「チームが降格して、資金が足りない。契約はできない。」
その日を忘れないように、LINEのステータスに“0708”と刻んだ。
「この悔しさを一生忘れないために。」

そこからも挑戦は続く。
ドイツではクラブ探しに奔走し、アルバニアではさらに過酷な現実が待っていた。
クラブ登録詐欺、契約不備、住居として案内されたのは──廃墟。
玄関はロープで縛られ、トイレは水が流れず、
ベッドの足は折れ、電気も1分で消える。
「その光景を見た瞬間、言葉を失いました。」
それでも、彼は踏みとどまった。
夜遅くにたどり着いたホテルの店主が、温かい食事を差し出してくれたのだ。
「この世界にも、優しさはある。」
その気づきが、ギリギリの心をつなぎ止めた。
帰国を決意した日、
配送アルバイトで仲良くなった店員から届いたメッセージが忘れられない。
「人生はまだまだ続く。
サッカーを充実させるための人生じゃなくて、
人生を充実させるためのサッカーをしてほしい。」

「泣きました。
“お前には無理だ”って言われ続けてきた自分にも、
人の心を動かせる力があるって気づいたんです。」
クロアチアでは意志の弱さを、
ドイツでは行動を止めない大切さを、
アルバニアでは生き抜く力を学んだ。
「報われなかった経験が、僕を一番強くしてくれたと思います。」
【次回予告】
何度倒れても、川目 湧真は立ち上がった。
そして、彼が見つけた“光”は──次の国、ニュージーランドにあった。
▶ 後編はこちら
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